80年代の文化を懐かしむブログ

昭和52年(1977年)生まれの筆者が小学生だった1980年代を思い返して綴るブログです

「サウンドキーホルダー」の思い出

今回は「サウンドキーホルダー」の思い出について語ります。

 

正式名称がわからないので調べるのにちょっと難儀しましたが、「サウンドキーホルダー」というこういう ↓ おもちゃのキーホルダーが筆者が小学3~4年生の頃(1980年代)に周りで流行りました。

どういったアイテムかと言いますと、表面にカラフルな8つのボタンが付いていましてこれを押すと数秒間いろんな音が出るいう代物でした。

電池で動く物でして裏に丸電池を交換するところがあります。

 

実際に出る音は手りゅう弾を投げる音だったり、マシンガンをぶっ放す効果音だったり、光線銃を撃つ音だったり。

小学男子の心をくすぐるそのような音が出るわけですが、まぁ令和の今からすると実にちゃちなおもちゃではありましたが、筆者の周りの小学男子の間では大ブームになりましたね。

 

筆者が小学3~4年生の頃(1980年代)、あるとき小学校にとある男子がこれを持ってきていましたが、様々(といっても8種類ですが)な音を奏でるそのアイテムに誰もが魅了されました。

どこで手に入れたのか?と尋ねると、「買ったのではなくとある場所のガチャガチャを回してゲットした」とのこと。

 

このようにランダムでおもちゃが出るガチャガチャ(ガチャポン)ですね。

1回100円でした。

 

その日の放課後、このおもちゃをゲットしたい男子の一団で徒党を組んでその場所にあるガチャガチャ(スーパーの店頭にありました)に向かいました。

しかし驚いたことに、すでに10人近くのガキどもがそのガチャガチャに群がっていました。

全員顔見知りで同じ小学校の別のクラスの連中だったので、状況を訊いてみましたが「1回で例のやつ(「サウンドキーホルダー」)を引き当てたやつもいれば、10回以上回しても出ないやつがいる」とのことでした。

 

筆者はその話を聞いて「撤退」することを決めました。

ガチャガチャなので欲しいものが出るかは当然運ですが、当時一か月の小学男子のお小遣いが1500円前後だった時代に1回100円で10回も回してお目当ての物がゲットできないのはキツいですからねぇ・・

 

しかし筆者と一緒にここに来たKはチャレンジすることに。

Kはなけなしの500円を投入して回しましたが残念ながら出ません。

Kのあとに回した別の男子が回したところ、なんと「サウンドキーホルダー」が出て一同からどよめきの声が上がりました。それと同時にくやしがるK。

 

ギャンブルと同じで「ここまで投資したのに全く見返りを得ずに諦めてしまうのは勿体ない」という心理が働いたのでしょうか(心理学的には「コンコルド効果」というらしいです)、すでに有り金をはたいてオケラになっていたKは筆者に金を無心し始めました。

100円玉5枚を持っていた筆者に「たのむ!!!いま持っているビックリマンシールを全部やるからその100円玉5枚をくれ!!!」と言うではありませんか。

Kがそのとき持っていたビックリマンシールですが、なんともレアなシールたちでしたので迷うことなくOKして筆者は100円玉5枚をKに私、Kは筆者に手持ちのビックリマンシールを筆者に引き渡しました。交渉成立です。

 

一度爆死しているKは慎重にならざるを得ません。

ほかの男子が回している横からガチャガチャを覗き込み、「サウンドキーホルダー」が入った玉が落ちてくるのを待っていました。

5回の挑戦権をじりじりと小出しに使って挑戦したKでしたが、残念ながらこの日Kは「サウンドキーホルダー」を引き当てることはできませんでした・・・

その後しばらくしてKに「金を返すからあのとき渡したビックリマンシールを返してくれ」とかなりしつこく迫られました。

ビックリマンシールを集めることに情熱を燃やしていた筆者はそのとき頑として応じず、結局そのビックリマンシールを今に至るまで手元に保有しています。

1000円近く投入してお目当てのおもちゃを引き当てられず、貴重なビックリマンシールを失ったKのことを今思うと可哀想だったなと思います。

 

さて小学男子のブームなどあっという間に消え去ってしまうものでして、しばらくすると「サウンドキーホルダー」のことは誰も気にしなくなりました。

 

あるとき小学生の筆者は家族で旅行に出かけ、旅行先の旅館のお土産を売っている売店で「サウンドキーホルダー」が売っているのを見つけ親に買ってもらいました。

しばらく音を出して楽しんでいましたが、もうだーれも見向きもしなくなったおもちゃでしたので筆者もすぐに飽きてしまい、そのとき買ってもらった「サウンドキーホルダー」はどこかに行ってしまいました。

「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」の思い出

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の思い出について。

 

ファンからは通称「ポケ戦」と呼ばれている『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』ですが、1989年に発売されたOVAとして発売されたガンダムシリーズのアニメ作品です。

OVAという言葉はもはや使われることが無くなりましたが、オリジナル・ビデオ・アニメの略で、意味としてはTVで放映されず映像作品(当時はビデオテープ)として販売された作品群のことです。

当時この『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』も公開当初はTV放映はされず、6本立てのビデオ作品として販売されました。

最近でいえば初放送はTVではなくネット配信・劇場公開された『機動戦士ガンダム サンダーボルト』に近いですかね。

 

そもそも1980年代のガンダムといえば、富野由悠季監督による『機動戦士Zガンダム』、『機動戦士ガンダムZZ』、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の方が知名度・人気があるのですが、筆者が好きで個人的に思い入れが強い80年代のガンダムといえばこの『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』です。

 

 

「ポケ戦」のことを知ったのは筆者が小6だった1989年でした。

当時ガンダムのプラモデル、特にSDガンダム(頭身の少ないデフォルメモデル)のプラモデルを作ることが筆者の周りの小学生男子の間で流行っていたのですが、クラスメートで仲のよいI君が「ねぇねぇ、ケンプファーって知ってる?ジオンのモビルスーツなんだけどめっちゃかっこいいよ!」と言ってきました。

 

「ジオン」というと初代ガンダムでも主人公が属する地球連邦軍と敵対するジオン公国のことで、メガのデザインはザクをはじめとして「悪者感」が強いものが多く、当たり前ですが小学生の間ではジオンのロボットより圧倒的にガンダムの方が人気がありました。

 

当時、ZガンダムZZガンダムしか観ていなかった筆者は「んー・・・・?ケンプファーなんてモビルスーツいたっけ?」と思いつつ、I君の言葉が気になっていたのでおもちゃ屋さんにいってSDガンダムBB戦士の「ケンプファー」のプラモを観に行きました。

これをおもちゃ屋さんで見て、当時の筆者は「おお!確かにカッコいい!」と思いました。

鈍重な機体が多いジオン系のフォルムでありながらすっきりとしていてカラーリングも頭部のツノも良いですね。

 

本編ではこんな感じです。

 

いったいどのガンダム作品で「ケンプファー」が登場するするのか?

ケンプファー」以外にも「ガンダム NTアレックス」という試作型のガンダムSDガンダムBB戦士では販売しており、どうも「ケンプファー」と一緒の作品で登場するらしい。

小学校のクラスの友だちに訊いてみたところ、「0080」というシリーズのガンダムで見れるらしいが、それがTV放送されたという話も聞かない。

 

その後、親とレンタルビデオ店に行ったときにアニメコーナーで『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』を見つけて、「ああ!これだ!」と狂喜し、さっそく最初の2本を親に頼んで借りてもらい、家でみてみました。

 

最初の2本みて小学生の筆者は驚きました・・・・。

「えっ、ガンダムケンプファーも出てこないじゃん^^;」

 

そうなんです。「ポケ戦」というのはこれまでのガンダムシリーズと比べるとかなり異色の作品でして、戦争がテーマにはなっているものの戦争(つまりモビルスーツ戦)の描写は序盤はほとんど無く、全体的にも人間ドラマの様相が強いです。

なにしろ、主人公がパイロットではない一般の小学生。

ガンダムシリーズの作品で主人公がモビルスーツパイロットではない一般人の作品ってほかにありましたっけ。

 

小学生男子の好きな「かっこいいメカ同士のバトル」描写がほとんど無く(特に序盤)、どちらかというと戦争によって引き起こされる悲しい物語がテーマなので、当時は小学生男子だった筆者は「ポケ戦」の最初の2本で脱落してしまい続きは観ないでしまっていました。

ガンダムシリーズは好きでしたしなにしろ「ポケ戦」はファンの間でも評判は良い作品なので、「いつかは観よう」と思っていましたがそのまま時が過ぎていました。

 

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その後、筆者が30歳くらいのときでしょうか。

年末年始あまりにも暇だったので、「ポケ戦」のDVD6本をTSUTAYAで借りてきて一気に観ましたが、最後の方はもうほんとうに胸が詰まって感動しましたよ。

 

簡単にストーリーを紹介すると、とあるスペースコロニー(宇宙空間に人類が作った居住区)で暮らす小学生のアルがひょんなことからコロニーを攻撃してきて失敗して不時着したザク(ジオンのロボット)のパイロットであるバーニィと出会います。

 

このバーニィが本当に素敵なナイスガイで、アルの兄貴分的な存在にもなり、憧れの存在になります。

 

 

その一方、アルの幼馴染でお隣に住んでいる年上のおねえさんであるクリスとアルが再会してバーニィ同様クリスと親交を温めるのですが、クリスは連邦軍のテストパイロットで「ガンダム NTアレックス」の搭乗者でもありました。

 

敵対する勢力のパイロット同士であることを知らないバーニィとクリスが出会うシーンもあります。

ここから先はネタバレになるので伏せますが、アルにとってバーニィもクリスも本当に大事な2人。

この2人がどうなっていくのかが後半の見どころです。

 

当時のアニメージュの表紙では『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』が筆者の知る限り2回表紙を飾りました。

いまと違い当時は「ガンダム」というと小学男子が特に好む作品だったかと思いますが、「ポケ戦」はキャラデザを美樹本晴彦さんが担当し、物語も戦記ではなく人間ドラマ中心だったので女性にも受け入れやすい作風だったのでアニメージュ誌でも注目していたのかもしれません。

 

やっぱり美樹本さんのキャラデザは洗練されていて素敵。今でも十分通用するどころか

このキャラデザでまたガンダム作品を観たいくらい。

アルにとっての「お隣の素敵なおねえさん」という雰囲気がよく出ているクリスさんの1枚絵。

 

モビルスーツコクピットの中の描写。

アルとクリスさんの温かい関係がよく表現されていると思います。

 

誰を憎んで戦っているわけではなく、自分の使命として・みんなを守るためにモビルスーツに乗って敵と戦っている。けれどそれが誰かにとって悲しい結果になってしまう。

戦争の哀しさをパイロットではない一般人の男の子の視点から描いた名作だと思います。

書いているうちにまた「ポケ戦」が観たくなりました。

今年のクリスマス近くにまた観てみようと思います。

「コイケヤ スコーン」の思い出

みんな大好き「コイケヤ スコーン」の思い出。

 

コイケヤさんから1987年10月に『スコーン 和風バーベキュー味』『スコーン チーズ味』を発売されました。

 

お菓子好きの筆者はいまでも愛食していますが、はじめて食べた10歳頃の筆者には衝撃でした。

なにこのスナック菓子、うますぎる!?

もうほんとに美味しくて感動しましたね。

カリサクのほどよい弾力とパンチの効いた味付け。

 

バーベキュー味もチーズ味もほんとうに大好きで友だちを家に招いたときに出すときもかならずスコーンを選択肢に入れました。

子どもの時分は和風バーベキュー味が好きでしたが、45歳のおっさんになった今はチーズ味の方が好みですね。

 

コイケヤ スコーンといえば、CMもインパクトがありました。

「♪スコーン、スコーン、湖池屋スコーン♪ スコーン、スコーン、湖池屋スコーン♪ カリッとサクッとおいしいスコーン♪」

という社交ダンスのリズムは35年経っても忘れません。

 

 

ちなみに2022年にこのCMはリメイクされまして、懐かしさでびっくりしました。

 

途中までは同じですが、いきなりSexy Zone中島健人さんが現れて軽快なステップを披露してくれます。

 

35年目にしてのモデルチェンジ。

これを書いているうちにスコーンを食べたくなってきました。

今週末買ってきてスポーツ観戦しながら食べることにします。

 

ところで商品名の「スコーン」はどこから来ているのか。

コイケヤさんの公式ホームページによると「一度聞いたら忘れられない響きと、『スコーン』とヒットするように願いを込めて付けられました。」だそうです。

 

てっきりイギリスのアフタヌーンティーのお供のお菓子であるスコーンから取ったのかと思い込んでいました。見た目はともかく外側が多少固めで中がやや柔らかい食感は似てる気がしますし。

とはいえ筆者は高校生になるまでイギリスのスコーンを知らず、「スコーン」と聞くとコイケヤさんのスコーンのことだと思っていました。

「ゴジラのトイカード(トイカード100)」の思い出

今回はトイカードについて語ります。

 

筆者が小学校高学年のとき、おもちゃ屋さんでトイカードというものが販売されました。

ほかの種類があるのかわかりませんが、当時小学生だった筆者が購入できたのはゴジラシリーズのトイカードでした。

 

カード自体は店頭にあるこの自販機から購入できました。

筆者の自宅近くでは西友の中のおもちゃ屋さんでのみ取り扱いがありました。

 

1枚あたりの値段ですが、筆者の記憶では「結構買うのに躊躇したし1枚500円だったかな?」と思っていましたが、ネットの情報で確認したところ1枚100円でした。

SDガンダムのカードダスが一枚20円だったので、それに比べたら高いということで500円と記憶していましたが、記憶違いで実際は100円だったようです。

 

さてこのトイカード。これの何が凄いかというとカードとしてコレクションできる上におもちゃ屋さんで商品券として使用できることです。

 

たとえば500円のおもちゃを買おうとしたら、当時したら500円現金でおもちゃ屋さんに支払っていたのですが、先にトイカードを500円分自販機で買っておけばそのカードを使って500円分のおもちゃを購入することができたというわけです。

まあ提携しているおもちゃ屋さん限定のプリペイドカードですね。

 

イカードを現金代わりにおもちゃ屋さんに差し出すと、おもちゃ屋の店員さんは右端のスリットが入った部分を切り離してカードを購買者に返却した上で商品を包んでくれました。

 

 

「何かをコレクションする」という行動は不思議なもので女性より男性の方がその傾向が強いと思います。特に小学生男子であった当時の筆者にトイカードは刺さりまくりで、トイカードが登場して以来ほしいおもちゃはすべてトイカードで購入していました。

 

ゴジラは大好きだったのでこれはもう集めるしかない。

当時は『ゴジラVSビオランテ』を親と劇場に観に行ったものです。

 

メカゴジラもかっこよかったな~

 

ミニラも愛嬌があって好きでした。

 

ゴジラ軍団のカードも持っていました。

 

たくさん欲しいし、なんなら全種類集めたい。

ただし、お小遣いが月1500円だった当時の筆者はそうそう現金をトイカードにすることができませんでした。

同じくトイカードを集めていた友だちとダブりを交換しながらチマチマ集めていたものの、全種類コンプは程遠い。

 

そんなとき、お誕生日プレゼントがトイカードを大量ゲットするチャンスでした。

小学生の筆者は親に買ってもらうお誕生日プレゼントは毎年ファミコンのソフトでしたが、ソフトによりますがこれが当時だいたい4500円くらいだったかと。

つまりお誕生日プレゼントをすべてトイカードで買ってもらったところ、ファミコンソフトも得ることもできる上に一気にトイカードを45枚ゲットすることができたわけです。

 

ところでこのゴジラのトイカード。

上の方に見慣れない文字の羅列があります。

 

これは暗号カードと照合することで意味がわかるのですが、暗号カードがトイカード自販機から出てきたときは、これまで集めたカードの暗号を一気に解読できるので楽しかったですね。

 

また、ちょっと面白い仕掛けとしてはゴジラ映画(『ゴジラVSキングギドラ』)の鑑賞券と引き換える当たりカードも存在していました。

試みとしてはとても面白いし、100円で映画鑑賞券に引き換えてもらえるならお得ではあります。この方法で映画鑑賞券を手に入れた子どもと付き添いで映画館に来た親は正規の料金で映画をみるわけで映画の興行側としてもおいしい。

 

ただ、もうすでにこの映画を映画館で視聴済みで鑑賞券はいらない!という人には無用な当たり(このトイカードでは買い物できない)だったのかもしれません。

 

そんなトイカードですが、筆者が中学生になるころ(1990年)にはすでに筆者は興味がなくなり、いつのまにかトイカードの自販機も目にすることがなくなりました。

「エリマキトカゲ」の思い出

実在するかどうかは別として、一大ブームとなったあとである時期からぱったり聞かなくなった動物たちがいます。

ツチノコだったり、ウーパールーパーだったり、人面犬だったり。

今回はそんな忘れ去られた動物の一種「エリマキトカゲ」について。

 

筆者が小学2~3年(1984年頃か)のときでしたが、エリマキトカゲが大ブームになり、連日テレビでエリマキトカゲが走る姿を見ました。

筆者は自分の子どもを連れて動物園に行くことが好きなのですが、正直動物園の爬虫類館でもエリマキトカゲを見たことは記憶にありません。

 

子どもの頃はよくテレビで見たエリマキトカゲですが、実はとても希少な生き物なのでしょうか?

子どもの頃はよくクラスの友だちとふざけてエリマキトカゲの真似しながら小学校の廊下を走り回ったものです。

 

筆者は車のCMでエリマキトカゲをはじめてみたときはとても驚きました。

 

なにせ、トカゲなのに二足で立ち上がっている上に軽快に走るのですから。

 

しかしブームが去ってからテレビはもちろん、動物園でも観ることができていません。

当時はアフリカにいる生き物だと思っていましたが、どうもオーストラリア・パプアニューギニアに生息するオセアニアの生き物のようです。

 

今の若い人(20代)にはエリマキトカゲという生き物ががいること自体知られているのでしょうか。

「ふしぎの海のナディア」の思い出

今回はアニメ作品『ふしぎの海のナディア』の思い出について語ります。

 

序盤は潜水艦に乗り込み海の冒険活劇として始まり、次第に空を駆け巡る空中戦艦が活躍する壮大なアニメでした。恋愛要素や世界を巡る戦いなどの活劇にもあふれいまなおファンの根強い思い出にあふれた名作アニメです。

 

庵野秀明監督のこのアニメ作品『ふしぎの海のナディア』ですが、いま確認したところ放送開始は1990年4月でした。

このブログは1980年代の文化(というか筆者の個人的思い出)について語るブログなので、厳密に言うと『不思議の海のナディア』は期間対象外なのですが、まあ細かいことはご容赦ください。

 

庵野秀明監督というと、その後『新世紀エヴァンゲリオン』という世界的大ヒット作品を生み出し実写映画でも『シン・ゴジラ』や『シン・仮面ライダー』で一世を風靡した作品を輩出した方です。

筆者もこの監督の作品が映画上映されたら必ず劇場に足を運んできました。

もちろん最近も『シン・仮面ライダー』を劇場に観に行きましたよ。

 

その筆者が人生で最初に庵野作品の薫陶を受けたのはこの『ふしぎの海のナディア』でした。

 

自分の中の「アニメオタク」を呼び覚ました作品

筆者は幼少期から人並みにそこそこアニメを好んで育ってきたのですが、中学1年生のとき「アニメオタク」として目覚めました。

 

筆者が中学1年生のときの話です(1990年)。

ある日、行きつけの本屋さんでアニメ雑誌アニメージュ」の表紙を目にしましたが、この表紙でした↓

この表示を見た瞬間、もう心が「ズキューン」という感じで撃ち抜かれましたね。

「なんて異国情緒にあふれた素敵なイラストなんだ!」「なんてエキゾチックで素敵な女のコなんだ!」と一瞬で魅惑されてすぐに本屋さんのレジにアニメージュを持っていきました。

帰ってすぐにこのアニメージュを読み耽り、この表紙になっている『ふしぎの海のナディア』という作品がNHKで毎週放送されていることを知りました。

 

この1冊のアニメージュがきっかけとなり筆者は『ふしぎの海のナディア』にハマり、その後ジブリ作品を中心としたアニメ作品に傾倒していきました。

当年45歳の筆者はいまでもアニメ作品を好んで観ていますが、最初にきっかけを与えてくれたのは間違いなく『ふしぎの海のナディア』でした。

 

当時、アニメファンへの世間の風当たりの強さがきつかった

中学生になるとアニメ・漫画からある程度離れていく人も多かったのですが、当時は「中学生になってもアニメに夢中になるなんてどうかしてる」という風潮がありました。

近年アニメ作品『鬼滅の刃』の劇場版が日本映画史上最大のヒットになったり、完全にアニメが文化として市民権を得た現在とは全く状況が違ったわけです。

アニメオタク・漫画オタクが迫害されていた当時から考えるといまの若い方がうらやましいです。

 

毎月アニメージュをわくわくしながら地元の本屋さんで買い求めていた筆者ですが、あるとき本屋さんでアニメージュを購入しているところをクラスメイトに見られてしまい、翌朝の学校の朝礼で周りに女子生徒などもいる中で「なぁ、アニメ雑誌とか買ってるの?」とニヤニヤしながら訊かれて本当に恥ずかしい思いをしました。

高校でもガンダムファンの友だちがクラスで小ばかにされているシーンもよく見かけました。

そういうこともあり筆者は中学・高校時代はアニメファンだということは極力公言せず隠れて楽しみました。

なんだか本当に不遇な時代でした。

 

小説やフィルムコミックで補完しました。

筆者は1冊のアニメージュがきっかけで『ふしぎの海のナディア』の視聴が始まったのですが、筆者が『ふしぎの海のナディア』を見始めたのは無人島編あたりからでした。もう作品全体でいえば中盤ですね。

 

何しろ当時はサブスクなんてものはないので、本編が放送中の『ふしぎの海のナディア』を最初から観ることが事実上不可能でした。

ですのでどうしたかというと、小説やフィルムコミック(アニメを漫画のように再構成した本)で補完しました。

 

当時こちらのフィルムコミックも買い集めて読みました。

TV視聴できなかった序盤はフィルムコミックや小説版で補完しました。

 

フィルムコミックの中身はこんな感じ。

映像で観れなかったのが歯がゆかったですが、おかげさまで途中から見てもストーリーについてゆくことができました。

アニメのコマを無理やり漫画にしたので仕方がないのですが、ちょっと臨場感に欠けますね、


アニメージュは大好きなアニメ雑誌でした。

当時、『ふしぎの海のナディア』はアニメファンから絶大な人気を誇っていましたので、アニメージュの表紙をよく飾っていました。

毎号、アニメージュを買うとき表紙がどの作品か楽しみでしたが、ナディアが表紙だったときはテンションが高まりました。

 

雑誌内ではアニメキャラの人気投票もよく行われていました。

観たことがある方はご存じですが、ナディアって子はいまでいうことろのツンデレの極致にいる子です。後半にデレが来ますが中盤まではほぼツンなのですが(いまはそういうキャラは苦手)、当時はなぜか好きでしたね。

 

ふしぎの海のナディア』は脇を固めるキャラクターたちも本当に魅力的。

ランディス姐さんもマリーも大好きでした。


最終話付近のエンディングは本当に涙無くしては観れませんでした。

 

その後、高校生になった筆者は『ふしぎの海のナディア』の原案となったジュール・ヴェルヌ作の古典の名作小説『海底2万里』も読みました。

こちらも知的好奇心と冒険に満ちた素晴らしい小説でした。

 

振り返ってみると・・・・

いま考えると『ふしぎの海のナディア』は庵野節が全開で本当に面白い作品でした。

若者の甘酸っぱい恋愛もあれば大人のドロドロとした愛憎劇もあり、冒険活劇もあれば『宇宙戦艦ヤマト』をリスペクトした宇宙戦争のようなド派手なメカバトルもあり、見どころいっぱいの一作。

何もかも心を持っていかれた筆者が10代から敬愛する作品です。

 

この後、庵野秀明監督は『トップをねらえ!』などOVA作品も携わり、1995年TV放送の『新世紀エヴァンゲリオン』でクリエーターとして大躍進するわけですが、筆者45歳になったいまでも『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』、『シン・画面ライダー』といった劇場作品でいつも作品を楽しませてもらっています。

ナディアから始まって30年以上も庵野作品を楽しむことになるとは、よもやこのときは考えておりませんでした。

「シーモンキー」の思い出

シーモンキー」の思い出

 

シーモンキー」ってご存じですか?

1970~1980年代に子ども時代を過ごした人はご存じかと思います。

筆者が小学生時代(80年代)に結構なブームになり、シーモンキーの飼育セットがテレビCMでもバンバン流れていました。

 

筆者も完全に「シーモンキー」のことは忘れていましたが、先日子どもを連れて品川水族館に行ったところ、昭和のなつかし生き物展のような企画展示があり、「シーモンキー」も展示されていて記憶が呼び起こされました。

 

シーモンキーとは水槽の中で買う微生物の一種ですが(正確にはエビの仲間とか)、乾燥卵として売られていました。それもペットショップなどではなく子ども用のおもちゃとして販売されていました。

 

簡単に言うと、子どもがおもちゃ屋さんでシーモンキーの卵を買ってきて水槽に解き放つと数日間してふ化し、1-2cnの大きさに成長するという代物です。

完全に乾燥した状態で売られているのに水の中に漬けるだけで生命としてふ化するなんて今でも理屈がさっぱりわからないです。乾燥卵ではあるが、仮死状態なのでしょうか?

 

 

筆者の記憶が間違っていなければ、おもちゃ屋さんどころか学研の雑誌の付録で付いてきたり、ガシャポン(当時はガチャガチャといいました)に入っていたりしました。

なんともインスタントな生き物ですね。