「クリスマスプレゼントの思い出」の思い出
誕生日のプレゼントと並んで子供が楽しみにしているのがクリスマスプレゼント。
筆者も御多分に漏れず子供の時はクリスマスプレゼントを楽しみにしていました。
小さいときからクリスマスにはいろいろプレゼントを買ってもらいましたが、意外と何を買ってもらったか思い出せません。
今回は記憶の隅に残っている筆者のクリスマスプレゼントの思い出を記します。
幼稚園時代
幼稚園児のときはコンバトラーVなどの合体ロボットものが好きだったので、超合金のおもちゃを買ってもらった気がします。
また当時は戦隊モノも好きだったので、それらのおもちゃを買ってもらった記憶もかすかにありますが、はっきりとは思い出せません。
ただ買ってもらったものは思い出せんが、この頃からクリスマスの前夜わくわくしながら布団に入ったのを覚えています。
小学生時代
毎年クリスマスプレゼントを買ってもらったのは覚えていますが、何を買ってもらったかは正直はっきりとは覚えていない年が多いです。
ただし、小2でファミコンを買ってもらってからは毎年ファミコンソフトをクリスマスにプレゼントしてもらっていたのは覚えています。
理由ははっきりしていて、ファミコンソフトが一本5000円ほどするため小学生が
親に買ってもらうにはこういうときしかなかったからです。
まず覚えているのが、1985年11月にBANDAIから4900円で発売されたファミコンソフト『キン肉マン マッスルタッグマッチ』でした。
これは筆者が8歳のときのクリスマスプレゼントでした。
クリスマスの朝、目が覚めると枕元にこのファミコンが置いてあり一気にテンションマックスになりました。当時筆者はキン肉マンの大ファンでした。
その日の朝はさっそく学校に行くギリギリまでプレイし、学校から帰ってきてもむさぼるように楽しみました。
対戦格闘ゲームでしたが、ドイツのブロッケンJrが凶悪な強さでした。
原作通り毒ガスを吐くのですが、その毒ガス攻撃がハメ技として異常に強く、友だちを家に呼んでプレイするときはブロッケンJrは使用禁止としていました。
いま考えると、ドイツだからといって毒ガス攻撃とは安易だし、いろいろ倫理的にまずいですねー
もうはっきりひとつ覚えているクリスマスプレゼントがこちら。
1986年のクリスマス、筆者が小3のときのクリスマスプレゼントでした。
これは悲しすぎる思い出でして、はっきり覚えています。
小3時点で毎年プレゼントをくれるサンタの正体が親だと知っていた筆者はあらかじめ母親に「今年のクリスマスプレゼントはファミコンソフトの『トランスフォーマー コンボイの謎』にしてよ!」と言っておいたのでした。
果たして小3のクリスマスの朝、わくわくしながら筆者が目を覚ますとファミコンソフト『トランスフォーマー コンボイの謎』の代わりに、上記の「ガリバー旅行記」の本が置いてありました。
筆者はあまりのショックに悲しくてボロボロ泣きました。
どこの世界にファミコンソフトの代わりに「ガリバー旅行記」の本をもらって喜ぶ小3男子がいるのでしょうか?
その後、起きてきた母親は泣きはらしている小3の筆者をみて狼狽していました。
この話はごく最近実家に帰ったときに母親にしましたところ「あのときはそのなんとかというファミコンソフトが売ってなかったから仕方なかったのよ」と弁解していましたが、それにしても「ガリバー旅行記」の本をプレゼントするのはセンス無さすぎでドン引きです。
こんな悲劇を避けるために筆者は自分の子供の誕生日・クリスマスプレゼントはなんとしても喜ぶものを買い与えていこうと思います。
ところで、このとき買ってもらいそびれた ファミコンソフト『トランスフォーマー コンボイの謎』ですが、のちの伝説級のクソゲーとして悪名を馳せました。
最悪の操作性に加えて始まって3秒で自機が破壊されるギミックがあり、全編とんでなく理不尽な死にゲー。一言でいえば「どこを切ってもクソ」というゲームでした。
もし「ガリバー旅行記」の本ではなく、ファミコンソフト「トランスフォーマー コンボイの謎」をこのときクリスマスプレゼントとしてもらっていたら、それはそれで期待とは裏腹なクソゲーっぷりに当時の筆者は泣いていたかもしれません。