80年代の文化を懐かしむブログ

昭和52年(1977年)生まれの筆者が小学生だった1980年代を思い返して綴るブログです

『ウルトラマン』の思い出

ウルトラマン』の思い出

 

2021年に映画『シン・ウルトラマン』が公開されることになり、ウルトラマンを子供の頃に熱心にみていた筆者としてはそのときの思い出をつづろうと思いました。

 

初代『ウルトラマン』自体の放送は80代どころか1966年に放送が開始されたので初代放送時筆者はまだ生まれていません。

にもかかわらず子供の頃からTVでウルトラマンを観ていた記憶がはっきりあるのは、人気コンテンツであるウルトラマンが何度もTVで再放送されていたからです。

 

f:id:nostalgigii:20210404072959p:plain

 

「3分しか戦えない」「巨大な体躯で正体不明な敵と格闘する」「ウルトラマンを戦闘・作戦面でバックアップする組織がある」など今考えるとウルトラマンの熱心なファンだった庵野秀明監督が新世紀エヴァンゲリオンで取り入れた要素がたくさんあったと思います。

 

ウルトラマンのシリーズ

幼稚園から小学校まで主に再放送でウルトラマンを楽しんできた筆者ですが、一番印象に残っているのは『ウルトラセブン』でした。

f:id:nostalgigii:20210404073425p:plain

メインターゲットは子供だったかと思いますが、セブンはとにかくがシナリオが重く暗い。

後で知りましたが、当時売り出し中だった脚本家が練りに練った社会風刺のテーマが毎回作品の中で提示される話が多く子供の筆者には理解が難しいときも多々ありました。

戦う敵も自然発生的に現れた「怪獣」ではなく、明確に地球を侵略対象としている「異星人」となったため、何度もセブンが窮地に立たされて見ていて苦しくなったのを覚えています。

にもかかわらず、熱心に子供の筆者が見続けてしまったのはどこか訴えかけてくるようなテーマ性が確立していた作品だったからだと思います。

 

ちなみに筆者が見ていたほかのウルトラマンシリーズでいえば・・・

ウルトラマンタロウ

f:id:nostalgigii:20210404073725p:plain

こちらは筆者が住んでいる地方の再放送では見ることができなかったのですが子供向け雑誌などで紹介されていて存在は知っていました。

あるとき、小学生の筆者が親に連れられて関西に行ったとき泊まったホテルのTVを付けたらたまたま『ウルトラマンタロウ』が放送していて感動して食い入るようにみてしまったのを覚えています。

 

ほかに見ていたのは『ウルトラマンレオ

f:id:nostalgigii:20210404073912p:plain

こちらは再放送でTVで見ていました。

セブンに比べるとどうも自分の中で印象が薄いです。

初放送は1974年ですから、レオのときもまだ自分は生まれていません。

 

ウルトラマンのおもちゃ・ゲーム

戦隊モノもそうですが、子供向け特撮番組といえばスポンサーがおもちゃメーカーであることが多い。ウルトラマンシリーズも御多分に漏れず、関連したおもちゃがたくさん販売されていました。

定番なのがこちらのソフトビニールのおもちゃ。筆者もよく買ってもらいました。

f:id:nostalgigii:20210404074527p:plain

また、小学校3-4年くらいのときにはファミコン全盛期でしたが、ウルトラマンのゲームもよく発売されていた記憶があります。

筆者が遊んでいたのはファミコンディスクシステムの『ウルトラマン倶楽部 地球奪還作戦』。ドラクエのようなRPGなのですが、ウルトラマンのメンバーでパーティーを組み、ランダムエンカウントすると現れる怪獣と戦います。

ボリュームが薄いゲームでしたので3日もせずクリアしてしまいました。

 

このゲームを遊んでいたのは筆者が10歳前後だったかと思いますが、すでにTVでウルトラマンを観ている年齢ではなかったので子供ながらに「ウルトラマン、なつかしいなあ」と感じながらプレーしていたのを覚えています。

 

f:id:nostalgigii:20210404074805j:plain

 

また、おもちゃではありませんが『ウルトラマンごっこ』を小学生のときは学校で楽しんだものです。

当時の小学生男子はやったことがない人がいないといえるくらい定番だったのがこのように紅白帽を半分折り曲げて被ってウルトラセブンになりきる遊び。

f:id:nostalgigii:20210404075502p:plain

また、物まねしやすい怪獣や異星人も多かったのでバルタン星人などはみんな一度は物まねしていましたね。

「おこづかい 月1500円」の思い出

「おこづかい 月1500円」の思い出

 

筆者の実家は当時としては珍しく、両親共働きで両親とも安定した地位の職業だったのでお金に困るということは無かったのですが、教育方針として子供にはぜいたくをさせないという考え方だったのでおもちゃやゲームソフトなどは簡単には買ってもらえませんでした。

 

小学校3,4年生のときは200-300円の手持ちのお金を持って駄菓子屋さんに行き、10円から30円くらいのこまごました駄菓子を買って小腹を満たしていたのをよく覚えています。

 

それまで決まった額のお小遣いを定期的にもらった記憶はありませんでしたが、筆者が小学5年生のとき、毎月決まった額のお小遣いをもらえることになりました。
きっかけは当時コロコロコミックで連載されていた小林よしのりさんの『おぼっちゃまくん』という漫画でした。この漫画は当時大ブレイクして、クラスの中でも大流行していて、この漫画を読んでいない男子はいないくらいの隆盛を誇っていました。

 

その『おぼっちゃまくん』ですが、主人公のセレブ小学生・御坊茶魔(通称ちゃま)は大富豪の社長令息という設定でとにかく金をうなるほど持っていて無駄遣いの限りを尽くします。

f:id:nostalgigii:20210220180644p:plain



その漫画のエピソードのひとつで無駄遣いが激しいちゃまを父親(おとうちゃま)が𠮟りつけ、「おまえは金のありがたみを知らん。今月は1500円ですごしてみよ」と言い渡されます。※通常のちゃまのお小遣いは一か月1500万円。

そのエピソードでは小学高学年の月のお小遣い平均が1500円と紹介され、その金額でおとうちゃまはちゃまに一か月過ごすように命じるわけです。
おそらく作者の小林よしのりさんもリサーチしたうえで1500円という額を出してきたわけですが、これをもって筆者は親にお小遣い交渉をしました。

 

おぼっちゃまくん』というと当時PTAでも問題視されて保護者層からはかなり不評の作品でしたが、幸いうちの両親は創作物には寛容で、特に筆者の母親に至っては筆者と一緒にTVで『おぼっちゃまくん』のアニメーションを観ながら笑い転げていましたので、『おぼっちゃまくん』を引き合いに出しても月1500円のお小遣いは了承してくれました。

 

かくして、筆者は中学校になるまで月1500円のお小遣いでやり繰りしました。
覚えてる筆者のお小遣いの主な使い道は以下でした。

・お菓子(駄菓子屋中心)
・漫画購入(藤子不二雄ランドドラゴンボールおぼっちゃまくんなど)
・おもちゃ購入(ミニ四駆ビックリマンチョコ、カードダス、BB戦士など)
ファミコンソフト

 

ちなみに自分の子どもに与えるお小遣いを参考にするために下記の本を買って読んでみましたが。その本では「子どもの年齢×100円=お小遣い額/週」と書かれていました。

f:id:nostalgigii:20210220180606j:plain


つまり小5(11歳)だと、週1100円、月4400円になります。
まあ30年も経てば物価が上がってますからお小遣いの額は上がるのは当然ですが、当時の3倍か。うちの子には良いお小遣いの使い方をしてほしいものです。

「クリスマスプレゼントの思い出」の思い出

誕生日のプレゼントと並んで子供が楽しみにしているのがクリスマスプレゼント。

筆者も御多分に漏れず子供の時はクリスマスプレゼントを楽しみにしていました。

 

小さいときからクリスマスにはいろいろプレゼントを買ってもらいましたが、意外と何を買ってもらったか思い出せません。

今回は記憶の隅に残っている筆者のクリスマスプレゼントの思い出を記します。

 

幼稚園時代

幼稚園児のときはコンバトラーVなどの合体ロボットものが好きだったので、超合金のおもちゃを買ってもらった気がします。

f:id:nostalgigii:20210213121723p:plain

また当時は戦隊モノも好きだったので、それらのおもちゃを買ってもらった記憶もかすかにありますが、はっきりとは思い出せません。

ただ買ってもらったものは思い出せんが、この頃からクリスマスの前夜わくわくしながら布団に入ったのを覚えています。

 

小学生時代

毎年クリスマスプレゼントを買ってもらったのは覚えていますが、何を買ってもらったかは正直はっきりとは覚えていない年が多いです。

 

ただし、小2でファミコンを買ってもらってからは毎年ファミコンソフトをクリスマスにプレゼントしてもらっていたのは覚えています。

理由ははっきりしていて、ファミコンソフトが一本5000円ほどするため小学生が

親に買ってもらうにはこういうときしかなかったからです。

 

まず覚えているのが、1985年11月にBANDAIから4900円で発売されたファミコンソフト『キン肉マン マッスルタッグマッチ』でした。

f:id:nostalgigii:20210213121752p:plain

これは筆者が8歳のときのクリスマスプレゼントでした。

クリスマスの朝、目が覚めると枕元にこのファミコンが置いてあり一気にテンションマックスになりました。当時筆者はキン肉マンの大ファンでした。

 

その日の朝はさっそく学校に行くギリギリまでプレイし、学校から帰ってきてもむさぼるように楽しみました。

対戦格闘ゲームでしたが、ドイツのブロッケンJrが凶悪な強さでした。

原作通り毒ガスを吐くのですが、その毒ガス攻撃がハメ技として異常に強く、友だちを家に呼んでプレイするときはブロッケンJrは使用禁止としていました。

f:id:nostalgigii:20210213121827p:plain

f:id:nostalgigii:20210213121840p:plain

いま考えると、ドイツだからといって毒ガス攻撃とは安易だし、いろいろ倫理的にまずいですねー

 

もうはっきりひとつ覚えているクリスマスプレゼントがこちら。

f:id:nostalgigii:20210213121854p:plain

1986年のクリスマス、筆者が小3のときのクリスマスプレゼントでした。

これは悲しすぎる思い出でして、はっきり覚えています。

 

小3時点で毎年プレゼントをくれるサンタの正体が親だと知っていた筆者はあらかじめ母親に「今年のクリスマスプレゼントはファミコンソフトの『トランスフォーマー コンボイの謎』にしてよ!」と言っておいたのでした。

 

果たして小3のクリスマスの朝、わくわくしながら筆者が目を覚ますとファミコンソフト『トランスフォーマー コンボイの謎』の代わりに、上記の「ガリバー旅行記」の本が置いてありました。

 

筆者はあまりのショックに悲しくてボロボロ泣きました。

どこの世界にファミコンソフトの代わりに「ガリバー旅行記」の本をもらって喜ぶ小3男子がいるのでしょうか?

その後、起きてきた母親は泣きはらしている小3の筆者をみて狼狽していました。

 

この話はごく最近実家に帰ったときに母親にしましたところ「あのときはそのなんとかというファミコンソフトが売ってなかったから仕方なかったのよ」と弁解していましたが、それにしても「ガリバー旅行記」の本をプレゼントするのはセンス無さすぎでドン引きです。

 

こんな悲劇を避けるために筆者は自分の子供の誕生日・クリスマスプレゼントはなんとしても喜ぶものを買い与えていこうと思います。

 

ところで、このとき買ってもらいそびれた ファミコンソフト『トランスフォーマー コンボイの謎』ですが、のちの伝説級のクソゲーとして悪名を馳せました。

 

最悪の操作性に加えて始まって3秒で自機が破壊されるギミックがあり、全編とんでなく理不尽な死にゲー。一言でいえば「どこを切ってもクソ」というゲームでした。

f:id:nostalgigii:20210213135206p:plain

 

f:id:nostalgigii:20210213135218p:plain

 もし「ガリバー旅行記」の本ではなく、ファミコンソフト「トランスフォーマー コンボイの謎」をこのときクリスマスプレゼントとしてもらっていたら、それはそれで期待とは裏腹なクソゲーっぷりに当時の筆者は泣いていたかもしれません。

「とんねるずのみなさんのおかげです」の思い出

筆者が小学生だった1980年代はお笑いコンビのとんねるずがとても人気で筆者もクラスの小学生たちもみんなバラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」を観ていました。

f:id:nostalgigii:20210208200023p:plain

 

同じとんねるずの冠場組である「ねるとん紅鯨団」も人気がありましたが、いわゆる集団お見合いパーティーの模様を放送した番組だったので当時小学生の筆者にはいまひとつ響かず。

 

小学生好みの要素が満載だった「とんねるずのみなさんのおかげです」の方がハマりました。

ただ「とんねるずのみなさんのおかげです」は木曜日の夜9時から10時までの1時間放送だったので小学生の筆者は放送の最後まで起きていることが難しく、エンディングまで頑張ってみていたら目がしぱしぱしてまぶたが落ちてきたことを覚えています。

 

小学生当時の筆者が好きだったコーナーは以下の2点でした。

■ 仮面ノリダー

「ぶっとばすぞ~!」と木梨憲武さんが叫ぶこのコーナー。

f:id:nostalgigii:20210208200653p:plain

言わずと知れた人気アクションヒーロー物の「仮面ライダー」のパロディーコントです。

パロディーなのですが、意外と本家「仮面ライダー」に近づけるような演出や主題歌に小学生当時の筆者はハマりました。学校でも仮面ノリダーの真似をするクラスメイトが多かったです。

筆者もノリダーの真似をしたり主題歌を歌ったりよくノリダーごっこをしたものです。

 

■ モジモジくん

全身タイツを着て人間文字を作ったりわちゃわちゃするコーナー

f:id:nostalgigii:20210208200945p:plain

 

とんねるずのノリさん、タカさんのほかに渡辺満里奈さんや小泉今日子さんといった美形のタレントさんもお馬鹿なノリで出演していたのが印象的でした。

いやー、今考えると信じられませんね。キョンキョンの無駄遣いとしか言い様がありません。

f:id:nostalgigii:20210208201021p:plain

 

「金曜ロードショー」の思い出

以前ゴールデン洋画劇場のことを書きましたが、今回は「金曜ロードショー」のことを書きたいと思います。

 

日本テレビ系列で金曜日の午後9時から映画が放送されていたのですが、かつて「金曜ロードショー」というタイトルで洋画を中心に名作映画が放映されており、筆者は子供の頃から洋画好きだった親と一緒にたくさんの映画をみたものです。

 

しかし午後9時からの放映ということで小学生当時の筆者は睡魔に勝てずおおむね最後まで見ることができず、翌朝親に「昨日の映画、最後どうなったの?」と訊いた記憶があります。

 

映画が始まる前に「フライデーナイトファンタジー」という哀愁漂う素晴らしい曲とともにこちらのオープニングが開始されます。

f:id:nostalgigii:20210202104508p:plain


当時見ていた人は懐かしい気持ちになるのではないでしょうか。

懐かしい気分に浸りたい方はYouTubeで探して再生してみてください。

当時の記憶がフラッシュバックされること請け合いです。

 

暮れなずむ夕暮れの中、海沿いで男性のシルエットが浮かび上がります。

f:id:nostalgigii:20210202105122j:plain

 

f:id:nostalgigii:20210202105213j:plain

 

f:id:nostalgigii:20210202105329j:plain

 

f:id:nostalgigii:20210202105342j:plain

このオープニングが終わるころには小学生の筆者のテンションはMAXに達していました。

 

忘れられない映画がたくさんあるのですが、特に思い出に残っているのは以下ですかね。

 

『レイダース 失われたアーク』:1985年に金ローで放映

ローマの休日』:1986年に金ローで放映『スターウォーズ』:1985年に金ローで放映

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』:1987年に金ローで放映

猿の惑星』:1988年に金ローで放映

 

特に『猿の惑星』は衝撃的でした。

f:id:nostalgigii:20210202110230j:plain

 超有名作品なので詳しい内容の紹介は割愛しますが、小学生からするととても怖い映画でした。

猿に支配された惑星で人間が奴隷となっている世界観なのですが、おっかない猿に人間の主人公が追いかけられて非常にスリルを感じました。

 

残念ながら睡魔に勝てず最後まで見ることができませんでしたが、翌朝親にエンディングの内容を聞かされて衝撃だったことを今でもよく覚えています。

「不良集うゲーム喫茶」の思い出

ゲームセンター(ゲーセン)やゲーム喫茶というとかつては不良のたまり場でした。(70-80年代)。

 

デパートの屋上やおもちゃ屋さんの中にもゲーム機はありましたが、こちらはわりと健全で小学生から中学生がメインの客層だったイメージがあります。

 

ゲームセンターは純粋にゲームを遊ぶところですが、ゲーム喫茶はそれとはちょっと違います。喫茶店のテーブル自体がゲーム機になっている喫茶店といえばわかりやすでしょうか。

筆者が生まれる前に大流行したとされるインベーダーゲームも喫茶店のゲーム機で遊ばれたと聞いています。

f:id:nostalgigii:20210131202418p:plain

 

小学6年生のときですが暇を持て余したクラスの友達グループ5人くらいで「ゲーム喫茶に行こう」という話がもちあがりました。

友達グループのうちのKが「〇〇小(我々が通っていた小学校)を卒業した先輩がよくいるっていうゲーム喫茶があるんだ」 と言い出したのがきっかけでした。

 

駅近くの雑居ビルの地下、そのゲーム喫茶はありました。

小学生5人で店の中に入ると薄暗い店内にたばこの紫煙がくるゆ独特の雰囲気でした。

いろいろなゲーム機の筐体があり、我々グループは怖気づきつつもテンションが上がってきました。

当時のアーケードゲームはスペック面でファミコンを大幅に凌駕しており、とても綺麗な画面に目が釘付けになりました。

 

初めて来たゲーム喫茶でどう遊べばよいか決めかねていた我々グループに近づいてきた中学生がいました。

Kが言っていた中学生の先輩でしたが、中学校の制服を多少着崩していて長い前髪が印象的。

気さくに「よう、お前ら〇〇小だろ?まあ遊んで行けよ」と声をかけてくれました。

 

当時小学6年生の筆者に中学生の知り合いはいませんでしたので、髪型もボサボサでしたが前髪が垂れてとてもかっこよく大人っぽく見えました。

スラムダンクの流川くんみたいなイメージと言いましょうか。

こんな場所にいつもいるということはいわゆる不良だったんですかね?

 

中年となった今では筆者からみると中学生はまだまだ成熟しきっていない幼いイメージがありますが、当時の小学生の筆者からみるととても大人びてみえたということですね。

このときは小学生だったから勘弁してもらったのかもしれませんが、こういうたまり場になっているようなところはツッパリ(死語)にカツアゲされるリスクが常に潜んでいますから、筆者は中学生になって以降立ち寄りませんでした。

 

その後、筆者のグループの誰かが座ってゲームを始めてそのプレイを周りでみんなで見るという形で場慣れしない感じで楽しんでいたところ、店員のおばちゃんが我々のグループに近づいてきて何も言わずにコーラを5人分提供してくれました。

どういうルールかよくわかっていなかったのですが、どうも来客には無料のウェルカムドリンクが提供される店だったようです。

おばちゃんはコーラを提供したあと奥のカウンターに引っ込むと店に備え付けられた小さなテレビで平日午後に放送されている海外のドラマをのんびり見ていました。

薄暗い店内でそのカウンターの中だけ明るいTV番組が放映されていて異空間のようだったのを覚えています。

 

徐々に場の雰囲気に慣れてきた我々は2人用ゲームの『ダブルドラゴン』に挑戦しました。

筆者とF君が筐体に並んで座りプレーしたわけですが、場の雰囲気もあって滅茶苦茶面白かった記憶があります。

※『ファイナルファイト』みたいな横スクロール型アクションゲームです

f:id:nostalgigii:20210131203722p:plain

 

ダブルドラゴン』をプレーしたあとその中学生の先輩に挨拶して店を辞去しました。

 

帰路で5人とも興奮気味で「面白かったなー!」と言い合ったのを覚えています。

大人の世界をちょっと垣間見た高揚感で溢れた一日だったのを覚えています。

 

初代「桃太郎電鉄」の思い出

桃太郎電鉄」の思い出

 

いまだにパーティーゲームとして人気を博している「桃鉄」こと『桃太郎電鉄』の思い出について。

f:id:nostalgigii:20210121162331j:plain



桃太郎伝説』というRPGゲームが1987年に出まして、当時10歳だった筆者も相当やりこみました。
このRPGゲームに人気が出て知名度が上がり、セルフパロディという形で1988年にハドソンから発売されたのが初代『桃太郎電鉄』でした。

BGMも派生元の『桃太郎伝説』の曲も使われていたのがあり、世界観も親しみやすかったこともあって筆者は小学生のころ『桃太郎電鉄』も楽しくプレーしました。
RPGゲーム『桃太郎伝説』に関してもかなり思い入れがありますので、これはこれで別の機会に書きたいと思います。

 

その後PCエンジンで『スーパー桃太郎電鉄』が出まして、中1くらいのときに友だちの家でよくやった記憶があります(ハワイまで行って物件を買うことができた記憶があります。いま振り返るとバブル期の日本のゲームらしい設定です)。
しかし、どちらかというと筆者の印象に残っているのは初代『桃太郎電鉄』です。

 

ボードゲームとしての魅力を体現した初代の桃鉄
今の桃鉄と比べると初代はまだ練りこまれていない印象があり、運要素が強かった印象があります。
ただしサイコロの出目によって全国を移動しながら物件を集め、季節ごとに所持金を増減させていくという桃鉄の基礎は初代からずっと受け継がれていると思います。
いまの桃鉄でもあるかわかりませんが、温泉物件を買い占めると見ることができる女湯のイラストは初代からあったと思います。

 

基本的にみんなで集まってワイワイやるゲームですが、筆者も友人を家に集めて桃鉄で遊んだ記憶があります。
かなり運要素が強かった印象があり、大事に貯めたお金をスリの銀次に一気にスられたりしました。

f:id:nostalgigii:20210121162412p:plain

 

ただ初代で貧乏神が出てきた記憶はありません、
まだ「桃鉄」のシステムとして煮詰まっておらず、あまり駆け引き要素はなかったので勝ち負けに対して熱くなった記憶はありませんでした。

 

桃鉄を通じて地名や名産品は覚えることができたのか?

桃鉄というと実際の地名が出てきて移動してその土地の名産品を買うことができる点で子どもの学習に良いのではないかという意見があります。筆者の姪・甥も現在Nintendoスイッチ版の桃鉄でいろいろ地名を覚えたそうです。

 

さて、筆者の小学生の頃はどうだっただろうか?
学校の勉強などほとんど真面目にやらなかったバカガキだった筆者は残念ながら桃鉄をかなりやりこんだにもかかわらず地名も特産品も全く覚えることができませんでした。
辛うじて今でも覚えているのが佐賀県鳥栖に初代桃鉄で訪れたときに絵が鳥だったので、なんとなく「鳥栖」という地名を覚えただけでした。

当時は鳥がバタバタしている印象しかありませんでしたが、バレーボールのトスにかけていたんですね。

f:id:nostalgigii:20210121162501p:plain



ちゃんと小学校で社会の授業を受けて勉強している小学生にとっては桃鉄は地名や特産品の記憶の定着に役立つだろうなとは今は思います。