80年代の文化を懐かしむブログ

昭和52年(1977年)生まれの筆者が小学生だった1980年代を思い返して綴るブログです

『高橋名人』の思い出

かつてハドソン社員のプロゲーマーとして名を馳せた高橋名人

 

高橋名人が人気絶頂だった1980年代、筆者は小学生でしたが周りの小学生男子と同様筆者も高橋名人に憧れ、「1秒間16連射」を崇敬の念で見ていました。

f:id:nostalgigii:20210529095835p:plain

 

「連射」というのはファミコンのコントローラに対してひたすら指で振動を与えて1秒間に何連射などと連打の回数にこだわる行為でした。

高橋名人が人気だった当時はシューティングゲームが流行しており、いかにスコアを稼ぐためかに連射が用いられました。

高橋名人は1秒間に16連射できる腕前を持っており、当時のちびっこが真似したものです。

筆者もよく練習しました。

f:id:nostalgigii:20210529100142p:plain

 

筆者が連射を使ってよく遊んでいたゲームはハドソンから出ていたこちらの「スターソルジャー」。

友だちを家に招いてよくこのゲームのスコアの勝負をしていました。

f:id:nostalgigii:20210529100331p:plain

f:id:nostalgigii:20210529100430p:plain

f:id:nostalgigii:20210529100446j:plain

 

「全国キャラバン」と名打って、高橋名人が全国の催事場を行脚し、子供たちにプレーを披露したりスコアを競う大会が開かれたのも記憶に残っています。

 

また、高橋名人以外にも毛利名人などいろいろな名人が登場しました。

指でコントローラのボタンをこすったり、人差し指と中指を交互にボタン連打するピアノ打ちなど、個性的な連射方法を持つ名人たちが登場しコロコロコミックで特集を組まれたのもよく覚えています。

 

とくに毛利名人高橋名人のライバルのような取り上げ方をされ、高橋名人VS毛利名人のような映画も放映されていました。

f:id:nostalgigii:20210529100850p:plain

f:id:nostalgigii:20210529100910p:plain

いまでは2人とも還暦を迎えた渋い名人ですね。

YouTubeチャンネルで2人の元気そうなお姿が拝見できます。

f:id:nostalgigii:20210529101012p:plain

 

あまりに高橋名人が人気絶頂だったため、ハドソンから高橋名人が主人公のゲームも登場しました。このゲーム、後半難しかったですね~。

あまりに難しくて、筆者は全面クリアできませんでした。

f:id:nostalgigii:20210529101104p:plain

 

当時はインターネットもまだなく、子供たちの間では根拠の無いうわさも広がりやすかったです。

高橋名人ってコントローラにバネを仕込んで16連射してたんだって!それがバレて警察に逮捕されたらしいよ!」と隣のクラスのK君から聞いて、高橋名人信者だった筆者はとても衝撃を受けた記憶があります(もちろんデマです)。

 

高橋名人が当時よく言っていた言葉で「ゲームは1日1時間」というものがあります。

つまり「勉強でも何でもやりすぎは良くない、ゲームにだけ夢中にならず、いろいろなことを経験しよう」という趣旨だそうですが、本当に素晴らしい言葉だと思います。

 

しかし、当時の筆者はなぜゲームを1日に1時間に制限されるのかわからず、何時間も毎日ゲームに没頭していました。

それはそれで得たこともありますが、もっとも大事なのは「いろんなことを体験しよう」ということだと思います。

 

筆者は自分の子どもには親としていろんなことを体験して成長してもらうために機会をたくさん作ってあげようと思っています。

『藤子不二雄ランド』の思い出

藤子不二雄ランド』をご存じでしょうか。

神奈川県川崎にある『藤子不二雄ミュージアム』とは違いますよ。

 

藤子不二雄ランド』とは?

藤子不二雄ランド』とは1984年に中央公論社から発売されていた藤子不二雄の漫画全集です。

毎週金曜日に1冊新刊が出ていましたが、その後もっと早いペースで刊行されていたと思います。

藤子不二雄(藤本さんと安孫子さんのコンビ)の過去の作品を全集としてまとめた漫画シリーズですが、ターゲットはあくまで子供だったので一冊あたりの価格も手ごろで、当時小学生だった筆者も好きな藤子不二雄作品をよくこの『藤子不二雄ランド』で購入していました。

表紙はこんな感じでした。

f:id:nostalgigii:20210503221126p:plain

f:id:nostalgigii:20210503221145j:plain

 

小学館から出ている「てんとう虫コミックス」と並んで、筆者はよくこのシリーズの藤子不二雄作品を購入していました。

扉を開けるとこんな感じでセル画が挿入されているのがどことなくプレミア感があり好きでしたね。

f:id:nostalgigii:20210503221454j:plain

最終的には7年かけて301巻が発刊されたようですが、筆者は全巻買い求めるほどお小遣いが余裕があったわけではなかったのでなんとなく読みたい作品だけ買っていた記憶があります。

 

藤子不二雄ランド』との再会

筆者が大学生のとき(90年代)、『藤子不二雄ランド』に再会することになりました。

筆者が大学生のとき、漫画専門の古本屋でアルバイトしていたときの話です。

その古本屋はブックオフのような薄利多売方式の古本業もしていたのですが、プレミアムが付いた過去の漫画本(絶版本)も取り扱っていました。

その中でも藤子不二雄作品の初版本・絶版本は人気がありました。

そのときすでに絶版になっていた『藤子不二雄ランド』シリーズの本(「FFランド」と呼ばれていました)はプレミアムが付いて販売されていました。

とくにシリーズ最後の方の作品は驚くほどプレミアが付いていて一冊数万円もするようなものがあり、大変驚いた記憶があります。

『ファイナルファンタジー』の思い出 その2 ※ファイナルファンタジー10

ファイナルファンタジーシリーズの前回からの続き。

 

ファイナルファンタジー 10』

f:id:nostalgigii:20210425213958j:plain

PS2で発売された最初のファイナルファンタジーです。

PS2発売当時、筆者はドリームキャストのゲームに傾倒していたのでPS2は持っていませんでした。PS2の対抗機だったドリームキャストでしたが、段々PS2の勢いに押されて生産中止となってしまいました。

癖があるが個性的な粒揃いだったゲームの多いドリキャスのゲームたちでしたが、広告のうまさやサードパーティの巻き込み方はSEGAよりSONYに分があり、一般受けは圧倒的に PS2のゲームが上回りましたね。

筆者はPS2でプレイしたいゲームがそれほどありませんでしたが、やはりファイナルファンタジはシリーズのファンだったのでやってみたい気持ちが高まり、FF10目当てでPS2を購入しました。

f:id:nostalgigii:20210425214022j:plain

筆者は当時就職浪人をしていましたが、短期間の期間限定のバイト(航空研究所で目の見え方を検査するという一風変わったバイト)をして得たバイト代でPS2と『ファイナルファンタジー10』を購入しました。

 

まずオープニングに度肝を抜かれましたね。

とにかく映像が美しく、音楽のセンスも抜群でした。

その一方で相変わらずストーリーは一本道でプレイヤーが介在する余地はありませんでしたが、よりリアルになった人間描写やドラマ・映像のクオリティにハマってしまいました。このゲームは小学生くらいでも楽しめるゲームでしたが、切ない恋愛の模様は思春期の子には刺さりまくりだったでしょう。

筆者はヒロインのユウナよりルール―姐さんの方が好きでした。

f:id:nostalgigii:20210425214646j:plain

就職浪人中とはいえ、すでに翌年の4月に内定が決まっていた筆者は暇すぎる時間を使いすぐにクリアしてしまいました。

やりこみ要素も結構あり、キャラごとの最強武器を手に入れるにはゲーム内のミニゲームをクリアしないといけないのですが、筆者は雷避けやブリッツボールなどのミニゲームが苦痛だったので主人公ティーダの最強武器を手に入れるにとどまりました。

ただ、モンスター小屋の爺さんの用意するモンスターとの対戦はとてもハマり、最終的には「すべてを超えし者」も倒しました。

f:id:nostalgigii:20210425214045p:plain

その後、就職先の寮で先輩と同部屋になったとき筆者が持ち込んだPS2と『ファイナルファンタジー10』を先輩に勧めたところ、先輩もいたくハマっていましたね。

『ファイナルファンタジー』の思い出 その1 ※ファイナルファンタジー1から9まで

今回はドラゴンクエストシリーズと並んで日本を代表するJRPBの雄、「ファイナルファンタジー」についての思い出を語ります。

 

FF派か?ドラクエ派か?

筆者が小学生時代、つまり80年代はRPGといえばドラクエが人気絶頂でしたがファイナルファンタジーも徐々に人気が増してきました。

筆者は小学生のときドラクエが大好きでRPGというとドラクエばかりやっていましたが、友だちの中ではドラクエのほかにファイナルファンタジーもやっている人が結構いました。

 

ファイナルファンタジーシリーズは当時読んでいたファミコン情報雑誌(「マル勝ファミコン」や「ファミコン通信」など)でもよく取り上げられていたこともあり、筆者もファイナルファンタジーに手を出したかったのですが、ファイナルファンタジーはグラフィックがドラクエよりもリアルでシステム的にもどうも難しそうな印象だったので、結局中学2年生のときに『ファイナルファンタジー4』に出会うまではファイナルファンタジーシリーズには手を出しませんでした。

 

そんなはじめはファイナルファンタジーに縁遠い筆者でしたが、途中から急激に「FF派」になっていきました。

シリーズ通して筆者にとってのファイナルファンタジーの思い出をナンバリング別で書いてみたいと思います。

 

ファイナルファンタジー1』

f:id:nostalgigii:20210411161902j:plain

1987年ファミリーコンピュータ用ソフトで発売。

筆者が小学3年生のとき、友だちのK君の家でK君がファイナルファンタジー1をプレイしている画面を観ました。

K君は「これファイナルファンタジーっていうんだぜ?川はカヌーで移動できるんだ」と言ってプレイ画面を見せてくれましたが、ドラクエのような漫画調のイラストのRPGしか好きじゃなかった当時の筆者にはあんまり響きませんでしたね。

K君はドラクエシリーズもやっていましたが、K君のお父さんがK君にファイナルファンタジーを買ってくれてプレイしたそうです。

f:id:nostalgigii:20210410234705p:plain

 

ファイナルファンタジー2』

f:id:nostalgigii:20210411161918j:plain

1988年ファミリーコンピュータ用ソフトで発売。

ファイナルファンタジー2に至っては、当時は筆者は存在すら気にしていませんでした。

周囲の友だちがやっていたという記憶がないのですが、覚えていない(あるいは知らない)だけで周りでもやっているクラスメイトがいたかも?

しかし、筆者は大人になって最初に手に入れたスマホiPhone 3GS)でゲームがプレイできるということで、iTunesストアからスマホで買い切りのファイナルファンタジー2ソフトを購入してプレイしました。確か600円でした。

スマホだったので通勤の電車の中で毎日少しずつプレイして1か月くらいでラストダンジョンまで行った記憶があります。

ラストダンジョンのラスボス(皇帝)直前まで行きましたが、IOSをアップデートしたときにファイナルファンタジー2のデータが消えてしまい、最初からやる気にならず結局クリアはできていません。

発売当時は名作だったのかと思いますが、正直大人になって隙間時間にプレイしていたのであまり印象に残っておらずストーリーも戦闘システムもそれほど感銘は受けませんでした。

 

ファイナルファンタジー3』

f:id:nostalgigii:20210411161934j:plain

1990年ファミリーコンピュータ用ソフトで発売。

筆者が小学5,6年くらいのときに友達のK君がやっていました。

K君宅でプレイ動画を観ましたが、モルボルの「臭い息」でこちらのパーティ全員が小人・毒・混乱・眠りなどのバッドステータスになってしまったり、レアアイテム「リボン」を取るために何度も同じボスを倒してリセットボタンでリセットを繰り返すK君のプレイをみて「こんな難易度高いゲーム、ぼくには無理だ;;」と思い、ますますファイナルファンタジーからは縁遠くなってしまいました。

f:id:nostalgigii:20210410234734p:plain

 

ここで筆者の小学生時代は終わり、時代は90年代に突入します。

 

ファイナルファンタジー4』

f:id:nostalgigii:20210411161948j:plain

1991年スーパーファミコン用ソフトで発売。

中学校2年生のとき、クラスメイトのH君が貸してくれました。

ファイナルファンタジーは「4」からスーパーファミコンにプラットフォームが変わりました。

このとき筆者が初めてプレイしたファイナルファンタジーのタイトルになりますが、とてつもなく面白くて震えました。なにしろストーリーがドラマチックで面白かったです。

セシルとローザのロマンスはドラクエには無かった恋愛模様で、思春期だった筆者にはとても刺さりましたね。

もうこの頃には筆者も多少精神的に大人になりつつあったので、ドラクエの王道でわかりやすくはあるがやや子供向けな作風より、どことなく陰をたたえたファイナルファンタジーのストーリーに惹かれました。

H君から借りたソフトでクリアしたのは中学2年生でしたが、その後高校1年のときに自分で買いなおして最初からやり直しました。

隠し召喚獣(ゴブリン、コカトリス、、ボム、マインドフレアなど)を取るためにスーパーファミコンのコントローラのAボタンをセロテープで固定して数時間放置したり、「アラーム」というアイテムでラストダンジョンで呼び出せる「プリンプリンセス」というモンスターを延々借り続けるプレイをしていた記憶があります(「ピンクのしっぽ」は結局手に入れることができませんでした)。

f:id:nostalgigii:20210411191652p:plain

f:id:nostalgigii:20210411191713p:plain

また、大学3年生のときプレストソフト『ファイナルファンタジーコレクション』(ファイナルファンタジー4・5・6がセットになったプレステタイトルのゲームソフト)を買ったときに4をまたプレイしていますから、実に6年にわかり3回ファイナルファンタジー4をクリアしていることになります。

 

 

ファイナルファンタジー5』

f:id:nostalgigii:20210411162011j:plain

1992年スーパーファミコン用ソフトで発売。

中学3年生で高校受験が終わってからすぐに開始し、ひたすらやりこみました。

ストーリーもなかなか良かったですが、ジョブシステムなど戦闘面が最高に楽しくすべてのキャラのジョブをマスターして、青魔法もすべて覚えるくらい楽しみました。

「レベル4フレア」、「レベル5デス」など、レベル別でモンスターに効く強力な青魔法があるのですが、それを有効活用するためにモンスターのレベルが書いてある公式
攻略本(NTT出版)を観ながらプレイした記憶があります。

ジョブシステム、隠し召喚獣、隠しアイテム、隠しステータス、オメガ・神竜などのやりこみボスなど5はとにかくやりこみ要素が豊富で飽きませんでした。

f:id:nostalgigii:20210411193434p:plain

ボスも雑魚もとにかくモンスターが強くて歯ごたえがありました。手ごわいモンスターをジョブを変えながら攻略していく楽しさがたまりませんでした。

今後シリーズの名物キャラとなったギルガメッシュが初登場したのもこの作品からでした。

f:id:nostalgigii:20210411193508p:plain

クリアしてからもレアアイテムを集めたり、アイテム増殖などの裏技を駆使したり相当やりこみました。

かなりハマったので中3の春休みから高校1年の2学期くらいまで楽しんだ記憶があります。

高校入学後なかなか友達ができなかった筆者はなかば現実から逃避するようにこのゲームをプレイしたものです。

 

ファイナルファンタジー6』

f:id:nostalgigii:20210411162030j:plain

1994年スーパーファミコン用ソフトで発売。

高校2年のとき、ゲーム友だちのS君から借りました。

本当は自分で買いたかったのですが、新品だと1万円以上もする高額なソフトだったので買うことができませんで手持ちのソフトをS君と交換という形でこのゲームを借りてプレイしました。

ストーリーは素晴らしいの一言で、どっぷりその世界観に浸かりました。音楽も最高に作風にマッチしていて心にしみわたり、出てすぐにサントラも買いました。確かCD3枚組でした。

ゲームクリアしてS君にファイナルファンタジー6のソフトを返した後、中古で値下がりしていた6のソフトを買い、初めからやり直すくらい好きな作品でした。

やりこみとしては恐竜が出現する森でひたすらレベリングしたり、ガウに可能な限り「あばれる」の種類を増やしたり、闘技場でひたすらレアアイテムを求めて闘ったりといった感じでしたが、キャラごとのジョブが固定されているゲームでしたのでキャラ育成の要素は限られていてやりこみ要素は5の方があった気がします。

f:id:nostalgigii:20210411194129p:plain

f:id:nostalgigii:20210411194301p:plain

6は全編通して陰鬱な雰囲気ではりますが、抒情的ともいえる美しいグラフィックや絶望の中から見出す希望を求めるストーリーに心底惹かれました。

6も大学生のときにプレステソフト「ファイナルファンタジー・コレクション」で最初からやり直してプレーした記憶があります。 

 

 

 

ファイナルファンタジー7』

f:id:nostalgigii:20210411162100j:plain

1997年プレイステーション用ソフトで発売。

ファイナルファンタジー7はSONYプレイステーションのタイトルとして発売され、当時大学受験の浪人生だった筆者はファイナルファンタジー7をプレイできず、とても気になっていました。

現役時代に志望校に合格できず、大学受験の浪人生になってファイナルファンタジー7をプレイできなかった筆者ははやく大学受験が終わってプレステとセットでこのタイトルをプレイすることを渇望していました。

結局浪人しても現役で合格して蹴った大学にしか合格できず不本意な結果で終わった大学受験でした。滑り止めで受けたその大学に合格し入学することになった失意の筆者が最初に取った行動は秋葉原に行き、プレイステーション本体とファイナルファンタジー7を買うことでした。

勉強に集中するために受験生時代の約2年ゲームを断っていた筆者はむさぼるようにファイナルファンタジー7をプレイしました。

スーパーファミコン時代のドット絵から、プレスタになってポリゴン描画のゲームになりましたが、驚きましたね。戦闘のときに敵も味方もヌルヌル動くのでそれはもう相当な衝撃でした。

一方、まだまだプレステ黎明期のゲームだったのでグラフィックが粗く、ミッドガルの街中では自分がどこにいるかわからなるときもありました。

クリアするまではかなりボリュームがあるタイトルでしたので受験が終わり大学がはじまるまでプレイし続けたのに大学に入学してから数週間経ってようやくクリアしました。しかし正直大学生活の新しい世界の方が自分史的に大きな出来事だったので、昔のようにやりこみプレイはしませんでした。

それでも召喚獣ナイツオブラウンド」やクラウドの最後のリミット技は覚えるくらいまでやりましたが。

したがって好きな作品ではありますが、そこまで思い入れのあるタイトルではありません。

 

 

ファイナルファンタジー8』

f:id:nostalgigii:20210411163429j:plain

1999年プレイステーション用ソフトで発売。

筆者が大学3年生のときにプレイしました。そういえば、ファイナルファンタジーシリーズを長く楽しんできましたが、発売日に手に入れてプレーしたタイトルは自分にとってはこのファイナルファンタジー8が最初で最後です。

大ブームを巻き起こしたファイナルファンタジー7に続いて新しいファイナルファンタジーのナンバリングが出るということで、ファイナルファンタジー8発売時はある種お祭り騒ぎのような感じでした。

筆者は当時書店でアルバイトしていましたが、同僚の店員さんはみんなプレイしていました。

当時はネットもほとんど普及していませんでしたが、攻略方法などは本か口コミで情報交換していましね。オメガウェポンというラスボスより強い敵の出現方法をアルバイト先の先輩に教えたところ、結構感謝された記憶があります。

ところで筆者は子供のころから周囲ではファイナルファンタジーを「エフエフ」と略して呼んでいましたが、この先輩や一部の人は「ファイファン」と略していてそれを聞くといつもちょっとした違和感を感じていました。

この作品も楽しんだことは楽しみましたが、大学生活やアルバイトが忙しすぎてやりこみプレイするほど楽しんだということはありませんでした。ストーリーに関しては正直恋愛要素が強すぎてプレイしていて気恥ずかしくなることが多かったです。個人的にはヒロインがあざとく感じてあまり好きではなくキスティス先生の方が好みでした。

戦闘システムは「ドロー」がいまいち馴染めず、正直好きになれませんでした。大学生でそこそこ忙しかったためオメガウェポンは倒しましたがやりこみはしませんでした。

当時、主題歌を歌っているフェイ・ウォンさんが大好きでこのゲームの主題歌CDは買いました。

 



 

ファイナルファンタジー9』

f:id:nostalgigii:20210411162116j:plain

2000年プレイステーション用ソフトで発売。

この作品は筆者が就職浪人していたときにプレイしました。

ファイナルファンタジー9の発売自体は筆者が大学4年の夏ごろでして、違う大学に通っているM君がプレイして絶賛していましたが、大学4年時はテレビゲームする習慣がほぼ無くなってしまった筆者は発売当時はプレイしませんでした。

その後、就職活動に失敗して就職浪人することになった筆者は時間だけはいくらでもある状態でしたので(当時は就職氷河期だったので思い出すだけでも苦しい就職活動でした)、就職浪人が決まったすぐに中古ショップで安くファイナルファンタジー9を手に入れてプレイしましたが、何しろ暇だったということもありドはまりしました。

原点回帰したようなファンタジー世界と最高にドラマチックで感動するエンディングで胸がジーンとなったのを覚えています。

ファイナルファンタジーのナンバリングの中では決して人気のあるとは言い難いタイトルですが個人的に9は大好きでしたね。

やりこみとしては序盤でグランドドラゴンを青魔法のレベル5デスで乱獲したり、作中のカードゲームを極めたり、隠しボスOZMAを倒したり時間をかけて遊んだ記憶があります。

 

 

 

さてお次はファイナルファンタジー10』

 

ファイナルファンタジー10は筆者が1年間の就職浪人の後期にプレステ2とセットで購入したタイトルになります。

長くなりましたのでここでいったん切ります。

『ウルトラマン』の思い出

ウルトラマン』の思い出

 

2021年に映画『シン・ウルトラマン』が公開されることになり、ウルトラマンを子供の頃に熱心にみていた筆者としてはそのときの思い出をつづろうと思いました。

 

初代『ウルトラマン』自体の放送は80代どころか1966年に放送が開始されたので初代放送時筆者はまだ生まれていません。

にもかかわらず子供の頃からTVでウルトラマンを観ていた記憶がはっきりあるのは、人気コンテンツであるウルトラマンが何度もTVで再放送されていたからです。

 

f:id:nostalgigii:20210404072959p:plain

 

「3分しか戦えない」「巨大な体躯で正体不明な敵と格闘する」「ウルトラマンを戦闘・作戦面でバックアップする組織がある」など今考えるとウルトラマンの熱心なファンだった庵野秀明監督が新世紀エヴァンゲリオンで取り入れた要素がたくさんあったと思います。

 

ウルトラマンのシリーズ

幼稚園から小学校まで主に再放送でウルトラマンを楽しんできた筆者ですが、一番印象に残っているのは『ウルトラセブン』でした。

f:id:nostalgigii:20210404073425p:plain

メインターゲットは子供だったかと思いますが、セブンはとにかくがシナリオが重く暗い。

後で知りましたが、当時売り出し中だった脚本家が練りに練った社会風刺のテーマが毎回作品の中で提示される話が多く子供の筆者には理解が難しいときも多々ありました。

戦う敵も自然発生的に現れた「怪獣」ではなく、明確に地球を侵略対象としている「異星人」となったため、何度もセブンが窮地に立たされて見ていて苦しくなったのを覚えています。

にもかかわらず、熱心に子供の筆者が見続けてしまったのはどこか訴えかけてくるようなテーマ性が確立していた作品だったからだと思います。

 

ちなみに筆者が見ていたほかのウルトラマンシリーズでいえば・・・

ウルトラマンタロウ

f:id:nostalgigii:20210404073725p:plain

こちらは筆者が住んでいる地方の再放送では見ることができなかったのですが子供向け雑誌などで紹介されていて存在は知っていました。

あるとき、小学生の筆者が親に連れられて関西に行ったとき泊まったホテルのTVを付けたらたまたま『ウルトラマンタロウ』が放送していて感動して食い入るようにみてしまったのを覚えています。

 

ほかに見ていたのは『ウルトラマンレオ

f:id:nostalgigii:20210404073912p:plain

こちらは再放送でTVで見ていました。

セブンに比べるとどうも自分の中で印象が薄いです。

初放送は1974年ですから、レオのときもまだ自分は生まれていません。

 

ウルトラマンのおもちゃ・ゲーム

戦隊モノもそうですが、子供向け特撮番組といえばスポンサーがおもちゃメーカーであることが多い。ウルトラマンシリーズも御多分に漏れず、関連したおもちゃがたくさん販売されていました。

定番なのがこちらのソフトビニールのおもちゃ。筆者もよく買ってもらいました。

f:id:nostalgigii:20210404074527p:plain

また、小学校3-4年くらいのときにはファミコン全盛期でしたが、ウルトラマンのゲームもよく発売されていた記憶があります。

筆者が遊んでいたのはファミコンディスクシステムの『ウルトラマン倶楽部 地球奪還作戦』。ドラクエのようなRPGなのですが、ウルトラマンのメンバーでパーティーを組み、ランダムエンカウントすると現れる怪獣と戦います。

ボリュームが薄いゲームでしたので3日もせずクリアしてしまいました。

 

このゲームを遊んでいたのは筆者が10歳前後だったかと思いますが、すでにTVでウルトラマンを観ている年齢ではなかったので子供ながらに「ウルトラマン、なつかしいなあ」と感じながらプレーしていたのを覚えています。

 

f:id:nostalgigii:20210404074805j:plain

 

また、おもちゃではありませんが『ウルトラマンごっこ』を小学生のときは学校で楽しんだものです。

当時の小学生男子はやったことがない人がいないといえるくらい定番だったのがこのように紅白帽を半分折り曲げて被ってウルトラセブンになりきる遊び。

f:id:nostalgigii:20210404075502p:plain

また、物まねしやすい怪獣や異星人も多かったのでバルタン星人などはみんな一度は物まねしていましたね。

「おこづかい 月1500円」の思い出

「おこづかい 月1500円」の思い出

 

筆者の実家は当時としては珍しく、両親共働きで両親とも安定した地位の職業だったのでお金に困るということは無かったのですが、教育方針として子供にはぜいたくをさせないという考え方だったのでおもちゃやゲームソフトなどは簡単には買ってもらえませんでした。

 

小学校3,4年生のときは200-300円の手持ちのお金を持って駄菓子屋さんに行き、10円から30円くらいのこまごました駄菓子を買って小腹を満たしていたのをよく覚えています。

 

それまで決まった額のお小遣いを定期的にもらった記憶はありませんでしたが、筆者が小学5年生のとき、毎月決まった額のお小遣いをもらえることになりました。
きっかけは当時コロコロコミックで連載されていた小林よしのりさんの『おぼっちゃまくん』という漫画でした。この漫画は当時大ブレイクして、クラスの中でも大流行していて、この漫画を読んでいない男子はいないくらいの隆盛を誇っていました。

 

その『おぼっちゃまくん』ですが、主人公のセレブ小学生・御坊茶魔(通称ちゃま)は大富豪の社長令息という設定でとにかく金をうなるほど持っていて無駄遣いの限りを尽くします。

f:id:nostalgigii:20210220180644p:plain



その漫画のエピソードのひとつで無駄遣いが激しいちゃまを父親(おとうちゃま)が𠮟りつけ、「おまえは金のありがたみを知らん。今月は1500円ですごしてみよ」と言い渡されます。※通常のちゃまのお小遣いは一か月1500万円。

そのエピソードでは小学高学年の月のお小遣い平均が1500円と紹介され、その金額でおとうちゃまはちゃまに一か月過ごすように命じるわけです。
おそらく作者の小林よしのりさんもリサーチしたうえで1500円という額を出してきたわけですが、これをもって筆者は親にお小遣い交渉をしました。

 

おぼっちゃまくん』というと当時PTAでも問題視されて保護者層からはかなり不評の作品でしたが、幸いうちの両親は創作物には寛容で、特に筆者の母親に至っては筆者と一緒にTVで『おぼっちゃまくん』のアニメーションを観ながら笑い転げていましたので、『おぼっちゃまくん』を引き合いに出しても月1500円のお小遣いは了承してくれました。

 

かくして、筆者は中学校になるまで月1500円のお小遣いでやり繰りしました。
覚えてる筆者のお小遣いの主な使い道は以下でした。

・お菓子(駄菓子屋中心)
・漫画購入(藤子不二雄ランドドラゴンボールおぼっちゃまくんなど)
・おもちゃ購入(ミニ四駆ビックリマンチョコ、カードダス、BB戦士など)
ファミコンソフト

 

ちなみに自分の子どもに与えるお小遣いを参考にするために下記の本を買って読んでみましたが。その本では「子どもの年齢×100円=お小遣い額/週」と書かれていました。

f:id:nostalgigii:20210220180606j:plain


つまり小5(11歳)だと、週1100円、月4400円になります。
まあ30年も経てば物価が上がってますからお小遣いの額は上がるのは当然ですが、当時の3倍か。うちの子には良いお小遣いの使い方をしてほしいものです。

「クリスマスプレゼントの思い出」の思い出

誕生日のプレゼントと並んで子供が楽しみにしているのがクリスマスプレゼント。

筆者も御多分に漏れず子供の時はクリスマスプレゼントを楽しみにしていました。

 

小さいときからクリスマスにはいろいろプレゼントを買ってもらいましたが、意外と何を買ってもらったか思い出せません。

今回は記憶の隅に残っている筆者のクリスマスプレゼントの思い出を記します。

 

幼稚園時代

幼稚園児のときはコンバトラーVなどの合体ロボットものが好きだったので、超合金のおもちゃを買ってもらった気がします。

f:id:nostalgigii:20210213121723p:plain

また当時は戦隊モノも好きだったので、それらのおもちゃを買ってもらった記憶もかすかにありますが、はっきりとは思い出せません。

ただ買ってもらったものは思い出せんが、この頃からクリスマスの前夜わくわくしながら布団に入ったのを覚えています。

 

小学生時代

毎年クリスマスプレゼントを買ってもらったのは覚えていますが、何を買ってもらったかは正直はっきりとは覚えていない年が多いです。

 

ただし、小2でファミコンを買ってもらってからは毎年ファミコンソフトをクリスマスにプレゼントしてもらっていたのは覚えています。

理由ははっきりしていて、ファミコンソフトが一本5000円ほどするため小学生が

親に買ってもらうにはこういうときしかなかったからです。

 

まず覚えているのが、1985年11月にBANDAIから4900円で発売されたファミコンソフト『キン肉マン マッスルタッグマッチ』でした。

f:id:nostalgigii:20210213121752p:plain

これは筆者が8歳のときのクリスマスプレゼントでした。

クリスマスの朝、目が覚めると枕元にこのファミコンが置いてあり一気にテンションマックスになりました。当時筆者はキン肉マンの大ファンでした。

 

その日の朝はさっそく学校に行くギリギリまでプレイし、学校から帰ってきてもむさぼるように楽しみました。

対戦格闘ゲームでしたが、ドイツのブロッケンJrが凶悪な強さでした。

原作通り毒ガスを吐くのですが、その毒ガス攻撃がハメ技として異常に強く、友だちを家に呼んでプレイするときはブロッケンJrは使用禁止としていました。

f:id:nostalgigii:20210213121827p:plain

f:id:nostalgigii:20210213121840p:plain

いま考えると、ドイツだからといって毒ガス攻撃とは安易だし、いろいろ倫理的にまずいですねー

 

もうはっきりひとつ覚えているクリスマスプレゼントがこちら。

f:id:nostalgigii:20210213121854p:plain

1986年のクリスマス、筆者が小3のときのクリスマスプレゼントでした。

これは悲しすぎる思い出でして、はっきり覚えています。

 

小3時点で毎年プレゼントをくれるサンタの正体が親だと知っていた筆者はあらかじめ母親に「今年のクリスマスプレゼントはファミコンソフトの『トランスフォーマー コンボイの謎』にしてよ!」と言っておいたのでした。

 

果たして小3のクリスマスの朝、わくわくしながら筆者が目を覚ますとファミコンソフト『トランスフォーマー コンボイの謎』の代わりに、上記の「ガリバー旅行記」の本が置いてありました。

 

筆者はあまりのショックに悲しくてボロボロ泣きました。

どこの世界にファミコンソフトの代わりに「ガリバー旅行記」の本をもらって喜ぶ小3男子がいるのでしょうか?

その後、起きてきた母親は泣きはらしている小3の筆者をみて狼狽していました。

 

この話はごく最近実家に帰ったときに母親にしましたところ「あのときはそのなんとかというファミコンソフトが売ってなかったから仕方なかったのよ」と弁解していましたが、それにしても「ガリバー旅行記」の本をプレゼントするのはセンス無さすぎでドン引きです。

 

こんな悲劇を避けるために筆者は自分の子供の誕生日・クリスマスプレゼントはなんとしても喜ぶものを買い与えていこうと思います。

 

ところで、このとき買ってもらいそびれた ファミコンソフト『トランスフォーマー コンボイの謎』ですが、のちの伝説級のクソゲーとして悪名を馳せました。

 

最悪の操作性に加えて始まって3秒で自機が破壊されるギミックがあり、全編とんでなく理不尽な死にゲー。一言でいえば「どこを切ってもクソ」というゲームでした。

f:id:nostalgigii:20210213135206p:plain

 

f:id:nostalgigii:20210213135218p:plain

 もし「ガリバー旅行記」の本ではなく、ファミコンソフト「トランスフォーマー コンボイの謎」をこのときクリスマスプレゼントとしてもらっていたら、それはそれで期待とは裏腹なクソゲーっぷりに当時の筆者は泣いていたかもしれません。