80年代の文化を懐かしむブログ

昭和52年(1977年)生まれの筆者が小学生だった1980年代を思い返して綴るブログです

「公文」の思い出

筆者は小学校5年生のときに公文式の学習塾に出会い、それまで散々だった勉強がかなり改善されたのを覚えています。これはそのときの思い出です。

 

(小5まで落ちこぼれでした)

筆者は小学校に入学して以来、およそ「勉強」というものにほとんど取り組んでいませんでした。

学校の授業もまともに先生の話も聞かず宿題もちゃんとやって登校した記憶がなく、学校の授業が終わるとひたすらサッカーとTVゲーム(ファミコン)と友だちとの遊びに熱中していました。

そんな状態でしたから学校の成績は惨憺たるもので、小学校3年になると母親が危機感を感じたのか、急に進研ゼミを申し込んだりや〇マハ英語教室に通わせるのですが、とにかく本人にやる気が一切ないので伸びるはずもありません。

※学校の勉強もろくにできないのに当時学校の科目でもなかった英語教室に通わせる親の考えの浅さがむごいなあと思ってます。

 

進研ゼミは周期的に送られてくる紙の宿題のようなものを解いて郵便で送って採点してもらう形式の学習ツールでしたが、週末に母親が見ている前で机に座り算数の問題などを解くのですが、これは非常に苦痛でした。

外では近所の子が遊ぶ声が聞こえるものですから、今解いている問題を放り出して外に出たかったのですが目の前に母親がいるのでそういうわけにもいかない。

ですので、かなり適当に解いて終わらせて遊びに出かけるという始末でした。

これでは身に付きません。

 

また〇マハ英語教室は先生(日本人)の言っている英語の会話がまったくわからず、なぜかタイプライターで英文字(どういう意味なのかはわからない)を打ち込むということをやらされていましたが、基礎的な文法すらわからないので授業でやっていることを徹頭徹尾理解できず、まったく役に立たない苦痛な時間でした。

英語をやらせるにしも最悪な類の塾だと思います。3歳以降の外国語は最低限からでも文法から始めるべきというのが今でも筆者の持論です。

 

そしてうちは共働きで両親とも基本的に毎日忙しく子供の勉強の面倒をみる時間もないので、普段の筆者は遊び歩いていたりゲーム三昧の生活でしたから小学校ではひどい落第生でした。

 

(公文との出会い)

小学校5年生のときです。

あるときクラスの仲の良いIクンが「公文行ってみない?楽しいよ」と筆者やK,Tを誘ってくれました。

 

公文式の塾の学習方法はあまりにも有名なのでここで説明は割愛しますが、まず初めて行った際には学力テストを行います。

筆者はIクンについていき、とある団地の一室の公文式の教室に行きました。

やさしそうな中年の女性の先生がいて、学力テストの問題を渡されたのでさっそく解いてみましたが、国語も算数もひどいものでした。

その時点で筆者は小学5年生だったのになんと九九の問題が半分も解けませんでした。

連れてきてくれたIクンにも笑われて、筆者は小学2年生の算数からやり直すことになりました。

一緒にいったK・Tも芳しくない結果でしたが筆者よりはマシでした。

ちなみに筆者は国語(主に漢字テスト)もあんまり良い結果ではありませんでしたが、本はまあまあ読んでいたのでそこまで悪くはなかった気がします。

 

この結果に屈辱ではあったものの本当に勉強ができなかったのだから仕方ない。しかしながら学習塾とはいえIクン・K・Tと一緒に通うのが楽しくて入塾することを決めました。

そして母親に許可を取り、正式に公文に通うことになりました。

 

(たった半年でこれまでの遅れを取り戻せました)

算数は小2からスタートでしたが、さすがに解ける問題が多いのですいすいカリキュラムを進めていき、なんと半年くらいで小5(つまりその時点の現況レベル)まで達することができました。

これには本当に公文式と誘ってくれたIクンにいまでも感謝しています。

公文がなければ筆者は中学に入っても落ちこぼれていたでしょうし、勉強にコンプレックスを抱えた人生を送っていたでしょう。

 

当時は週2回ほど公文式に通っていたと思いますが、勉強そのものより友達と過ごすのが楽しかったです。Iくんはそのうち中学受験をするので公文を辞めてしまいましたが、一緒にはじめたK・Tと一緒に通い帰りに三人でコンビニで駄菓子を買って買い食いしながら帰宅するのが最高に楽しかった。

 

しかし筆者以上に勉強が好きじゃなかったKとTはそのうち公文に来なくなってしまいました。

先生が熱心で優しかったので筆者はKとTが辞めたあとも公文に通い続けていたのですが、あるとき雨だったので公文に行くのがめんどくさくなりさぼって家でTVゲームをしていました。

たまたまそのとき母親が家にいたのですが、なんと公文の先生が筆者のために雨の中宿題を筆者の家まで届けてくれました。それには母親も驚いていました。

今考えると、本当に熱心な先生で頭が下がる思いです。

 

その後、小6になり筆者の母親は公文を辞めさせて筆者を学習塾に入れました。

進学塾というより補習塾でしたが、それはそれで有益だったと思いますが(先生は厳しめでしたが、その塾でも学校の友達がいたので)、公文の方が筆者に合っていたかもしれません。

やはり小学校3年分の遅れを取り戻してくれた公文と筆者が通っていた教室の先生には本当に感謝してもしきれません。

 

思考力や相応のテクニックが必要となる受験レベルになると進学塾に軍配があがりそうですが、自分のペースでどんどん先取りして学校の勉強の進度を越せることもできるし筆者のような落ちこぼれにも対応できるし、単純な繰り返しという意味での勉強では公文式というのは本当に理にかなっていると思います。

 

大げさではなく公文には自分の人生を救ってくれたと思っていますので、自分の子供が小学校に上がる1年前から公文に子供を預けてみたいと思います。