「リゲイン」の思い出
筆者が小学校高学年のときに栄養ドリンクのリゲインがCMの効果もあり、ヒットしました。
■24時間戦えますか
「きぃろ~とくぅろ~は勇気のしるし」から始まるリゲインのCMはとても印象深く、当時小学5,6年の筆者や筆者のクラスメートたちもよく学校で唄っていました。
CMで使われたこの曲はCDも発売され、クラスメートのNくんがシングルCDでこの曲を買っていました。
時任三郎さん出演のこのCM。
ビシッとスーツに身を包んだ日本のサラリーマンが海外でぐいぐい働く様子を軽快な例の曲とともに表現しています。
今考えると凄い歌詞でした。
「24時間戦えますか」とは明らかに労基違反。
でも80年代のバブル絶頂時のこのとき労働の現場はより利益を上げるために長時間の残業が横行していたのでしょう。
筆者が小学生のとき、筆者の両親は毎日残業で遅く帰ってきたことを覚えています。
バブルが弾けて国全体の景気が悪化してからは帰りが早くなりました。
あれから30年近く経った2020年現在、「働き方改革」なる国の指針のもとに企業は残業をしない・させない方針で経営する方向に転換しました。
CMひとつ取ってみても世相をとても色濃く反映しているものですね。
「ドラゴンクエスト4(FC版)」の思い出 (その1)
例えば、発売前情報で仲間が主人公を除き7人いるとわかったときは筆者の界隈でも話題になりました。
2章
「ラーメンばあ」の思い出
「ラーメンばあ」というお菓子がありました。
チキンラーメンのような麺を揚げて棒状にしたお菓子ですが、シールが付いていたのでそれが筆者のコレクション欲に火をつけました。
このような袋に入ってスーパーやコンビニで販売されていました。
発売はKaneboさん。価格は一個60円でした。
60円と手ごろな価格でしたし、いちおうお湯に入れて食べることもできたのでおなかがすいているときによく間食代わりに食べていました。
筆者は小学3・4年くらいのときに買い始め、遠足でも持って行ったのを覚えています。遠足のおやつで買ったラーメンばあの第1弾で秘書マリリンが出たのを覚えています。
さて肝心のシールですが、ビックリマンチョコと比べるとイラストのクオリティやストーリーの作りこみはやや劣っていたと言わざるを得ません。
しかし、シールが二重になっていて一枚めくると違うシールになるギミックやシールのラメの光沢などにバリエーションがあり、十分コレクションに値するものでしたので、筆者は1年以上買い続けてシールを集めていました。
一枚目はこんな感じのシールですが、一枚めくると・・・・
こんな感じのシールが現れます。
女性キャラも結構いましたね。
一応初期は各キャラクターがプロレスラーという設定だったようです。
「ジレンマ」という女性キャラですが、小学生のときは英語のジレンマから来ているとはわかりませんでした。ちょっと怖いビジュアルだなー、と思っていました。
このアバンメーラはわりと後期に登場したと思います。
反対から読むと「ラーメンバア」だと気づいたときは笑いました。
このラーメンばあというお菓子は子供の時は本当に重宝しました。
ビックリマンチョコにしろガムラツイストにしろ、甘いお菓子はあんまりお腹が膨れずかといって食べ過ぎると胸やけする。
ラーメンばあだと丸かじりもできるお湯で解いてインスタントラーメンのように楽しむこともできるのでいつもお腹が空いていた小学生の筆者は助けられました。
ちなみに、ラーメンばあというと講談社のコミックボンボンとタイアップしていました。
ラーメンばあの新弾のシール紹介もボンボンを介して知りました。
「ちびまる子ちゃん」の思い出 (その1)
すでにコミックスが発売されていた時点で話題になってはいましたが、大ブレイクしたきっかけはやはりアニメの放送でしょうね。
もう貪るほど筆者は一気に読みましたね。本当に面白かったです。
なんなら大人になった今読んでも面白いと思います。
※キャラクターの名前の多くがガロ系の漫画家さんから取っているということを知ったのは筆者が大学生くらいのときでした。
■アニメ版の大ヒット
「野球盤」ゲームの思い出
筆者が幼稚園児~小学校1年生くらいの頃はTVゲーム(ファミコン)は無かったので、近所の友だちと遊ぶときはたいていボードゲーム(トランプ、ドンジャラ、人生ゲームなど)でした。
その中でもよく近所の友だちと遊んだのがこちらのパチンコ玉を利用した野球盤ゲーム。
仕組みとしては単純で守備側のプレイヤーが真ん中のピッチャーマウンドからパチンコ玉を排出し、攻撃側のプレイヤーがタイミングよくバット(棒のようなもの)を振り、パチンコ玉を飛ばします。
飛んで行ったパチンコ玉は盤の中を駆け巡り、守備のポジションに行くと落ちてアウト。
外野に飛んで行ったら落ちた穴によってアウトになったり長打になったりします。
ヒットになった場合、人間を模した小さいシンボルを類に置くという感じで試合を進めていきます。
もはや今では見かけなくなってしまったおもちゃですね。
幼稚園児のときに近所の年下の男の子のりょうちゃんの家によく遊びに行ってこれで一緒に遊んだものです。
「うる星やつら」の思い出
高橋留美子先生が「うる星やつら」の連載を始めたのは1979年のとき高橋先生が大学生のときで、本格的な連載が開始されたのは1980年のことだったそうです。
■アニメ「うる星やつら」をみてドキドキしていました
筆者がはじめて「うる星やつら」を目にしたのは、アニメ版「うる星やつら」のときでした。
小学1,2年のとき(83年頃)に一人で家で留守番しているときに観ていたのを覚えています。
当時はアニメ全般と楽しんでいましたが「うる星やつら」は毎週楽しみにしていましたね。ストーリーはわかりやすいドタバタですし、なによりヒロインのラムちゃんにドキドキしたのを覚えています。
露出度がかなり高いトラビキニですが、今見てもなかなかインパクトのある見た目ですよね。
■私服のラムちゃんは貴重
その後、漫画版「うる星やつら」の存在を知ったわけですが、たまに見かけるラムちゃんの私服をみて、「やっぱり高橋留美子先生のセンスって凄くいいな!」と思いました。
筆者は「うる星やつら」の連載終了後は同じ高橋留美子先生の作品「らんま2/1」に傾倒していくわけですが、ほんとに高橋留美子先生の描く女子はみんな可愛いくて好きでした。
■中1のとき自分の中で「うる星やつら」ブームが再燃しました
自分の中で何度となく「うる星やつら」ブームが来たものです。
最初は小学生低学年のときにリアルタイムで観ていたアニメ「うる星やつら」ですが、そのつぎに中1のときに改めて「うる星やつら」にハマりました。
すでに「うる星やつら」の連載が終わっていましたが、「うる星やつら」のワイド版(1冊で単行本2冊くらいある愛蔵版の漫画本)を買い集めて読んでいました。
なにがきっかけで中1のときに「うる星やつら」がマイブームが訪れたのか今では思い出せませんが。
そういえば、中1の夏休み(1990年前後)、父とどこかに出かけたとき「好きなゲーム買っていいよ」と言われて、筆者は悩んだ末に「うる星やつら」のPCエンジンCD-ROM版のゲーム「うる星やつら STAY WITH YOU」を買ってもらったことを覚えています。
このゲームは本当によくできていました。
アドベンチャータイプのゲームだったのですが、「うる星やつら」の声優陣にフルボイスでセリフを吹き込ませたゲームだったので、子どものときから「うる星やつら」が好きだった筆者には感涙もののゲームでしたね。
実際当時のゲーム雑誌でもかなり高得点のレビューを獲得していました。
■衝撃だった映画「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」
「うる星やつら」のマイブームが去ってもうだいぶ経ったときの話。
筆者が大学生の時、サブカルチャーを研究していた大学の准教授の先生と話していて「映画『「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』は凄いよ。一見の価値あり」とその先生が言っていたのでレンタルビデオ屋さんで借りてきて観てみました。
ほんとに仰天しました。
この「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」は一回観ただけではとても理解できなかったので、3回くらいは観たと思います。
作品の細かい内容の記述は割愛しますが、「うる星やつら」の世界観を使った押井守監督による壮大な思考実験に感じました。
ただ、これを「うる星やつら」と言ってしまって良いものか。
かなり既存の「うる星やつら」の持ち味や本来のほのぼのテイストから逸脱していると思います。
筆者にとっては、これはこれで大好きな「うる星やつら」なんですけどね。
あまりにインパクトが強かったのでDVD版が発売されたときにすぐ買ってしまいました。
「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」は何度見ても新しい発見がある作品
なので今度久しぶりに見直してみようかなと思います。
好き嫌い分かれるかもしれませんが、本当に一見の価値がある作品ですよ。