80年代の文化を懐かしむブログ

昭和52年(1977年)生まれの筆者が小学生だった1980年代を思い返して綴るブログです

「とんねるずのみなさんのおかげです」の思い出

筆者が小学生だった1980年代はお笑いコンビのとんねるずがとても人気で筆者もクラスの小学生たちもみんなバラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」を観ていました。

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同じとんねるずの冠場組である「ねるとん紅鯨団」も人気がありましたが、いわゆる集団お見合いパーティーの模様を放送した番組だったので当時小学生の筆者にはいまひとつ響かず。

 

小学生好みの要素が満載だった「とんねるずのみなさんのおかげです」の方がハマりました。

ただ「とんねるずのみなさんのおかげです」は木曜日の夜9時から10時までの1時間放送だったので小学生の筆者は放送の最後まで起きていることが難しく、エンディングまで頑張ってみていたら目がしぱしぱしてまぶたが落ちてきたことを覚えています。

 

小学生当時の筆者が好きだったコーナーは以下の2点でした。

■ 仮面ノリダー

「ぶっとばすぞ~!」と木梨憲武さんが叫ぶこのコーナー。

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言わずと知れた人気アクションヒーロー物の「仮面ライダー」のパロディーコントです。

パロディーなのですが、意外と本家「仮面ライダー」に近づけるような演出や主題歌に小学生当時の筆者はハマりました。学校でも仮面ノリダーの真似をするクラスメイトが多かったです。

筆者もノリダーの真似をしたり主題歌を歌ったりよくノリダーごっこをしたものです。

 

■ モジモジくん

全身タイツを着て人間文字を作ったりわちゃわちゃするコーナー

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とんねるずのノリさん、タカさんのほかに渡辺満里奈さんや小泉今日子さんといった美形のタレントさんもお馬鹿なノリで出演していたのが印象的でした。

いやー、今考えると信じられませんね。キョンキョンの無駄遣いとしか言い様がありません。

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「金曜ロードショー」の思い出

以前ゴールデン洋画劇場のことを書きましたが、今回は「金曜ロードショー」のことを書きたいと思います。

 

日本テレビ系列で金曜日の午後9時から映画が放送されていたのですが、かつて「金曜ロードショー」というタイトルで洋画を中心に名作映画が放映されており、筆者は子供の頃から洋画好きだった親と一緒にたくさんの映画をみたものです。

 

しかし午後9時からの放映ということで小学生当時の筆者は睡魔に勝てずおおむね最後まで見ることができず、翌朝親に「昨日の映画、最後どうなったの?」と訊いた記憶があります。

 

映画が始まる前に「フライデーナイトファンタジー」という哀愁漂う素晴らしい曲とともにこちらのオープニングが開始されます。

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当時見ていた人は懐かしい気持ちになるのではないでしょうか。

懐かしい気分に浸りたい方はYouTubeで探して再生してみてください。

当時の記憶がフラッシュバックされること請け合いです。

 

暮れなずむ夕暮れの中、海沿いで男性のシルエットが浮かび上がります。

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このオープニングが終わるころには小学生の筆者のテンションはMAXに達していました。

 

忘れられない映画がたくさんあるのですが、特に思い出に残っているのは以下ですかね。

 

『レイダース 失われたアーク』:1985年に金ローで放映

ローマの休日』:1986年に金ローで放映『スターウォーズ』:1985年に金ローで放映

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』:1987年に金ローで放映

猿の惑星』:1988年に金ローで放映

 

特に『猿の惑星』は衝撃的でした。

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 超有名作品なので詳しい内容の紹介は割愛しますが、小学生からするととても怖い映画でした。

猿に支配された惑星で人間が奴隷となっている世界観なのですが、おっかない猿に人間の主人公が追いかけられて非常にスリルを感じました。

 

残念ながら睡魔に勝てず最後まで見ることができませんでしたが、翌朝親にエンディングの内容を聞かされて衝撃だったことを今でもよく覚えています。

「不良集うゲーム喫茶」の思い出

ゲームセンター(ゲーセン)やゲーム喫茶というとかつては不良のたまり場でした。(70-80年代)。

 

デパートの屋上やおもちゃ屋さんの中にもゲーム機はありましたが、こちらはわりと健全で小学生から中学生がメインの客層だったイメージがあります。

 

ゲームセンターは純粋にゲームを遊ぶところですが、ゲーム喫茶はそれとはちょっと違います。喫茶店のテーブル自体がゲーム機になっている喫茶店といえばわかりやすでしょうか。

筆者が生まれる前に大流行したとされるインベーダーゲームも喫茶店のゲーム機で遊ばれたと聞いています。

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小学6年生のときですが暇を持て余したクラスの友達グループ5人くらいで「ゲーム喫茶に行こう」という話がもちあがりました。

友達グループのうちのKが「〇〇小(我々が通っていた小学校)を卒業した先輩がよくいるっていうゲーム喫茶があるんだ」 と言い出したのがきっかけでした。

 

駅近くの雑居ビルの地下、そのゲーム喫茶はありました。

小学生5人で店の中に入ると薄暗い店内にたばこの紫煙がくるゆ独特の雰囲気でした。

いろいろなゲーム機の筐体があり、我々グループは怖気づきつつもテンションが上がってきました。

当時のアーケードゲームはスペック面でファミコンを大幅に凌駕しており、とても綺麗な画面に目が釘付けになりました。

 

初めて来たゲーム喫茶でどう遊べばよいか決めかねていた我々グループに近づいてきた中学生がいました。

Kが言っていた中学生の先輩でしたが、中学校の制服を多少着崩していて長い前髪が印象的。

気さくに「よう、お前ら〇〇小だろ?まあ遊んで行けよ」と声をかけてくれました。

 

当時小学6年生の筆者に中学生の知り合いはいませんでしたので、髪型もボサボサでしたが前髪が垂れてとてもかっこよく大人っぽく見えました。

スラムダンクの流川くんみたいなイメージと言いましょうか。

こんな場所にいつもいるということはいわゆる不良だったんですかね?

 

中年となった今では筆者からみると中学生はまだまだ成熟しきっていない幼いイメージがありますが、当時の小学生の筆者からみるととても大人びてみえたということですね。

このときは小学生だったから勘弁してもらったのかもしれませんが、こういうたまり場になっているようなところはツッパリ(死語)にカツアゲされるリスクが常に潜んでいますから、筆者は中学生になって以降立ち寄りませんでした。

 

その後、筆者のグループの誰かが座ってゲームを始めてそのプレイを周りでみんなで見るという形で場慣れしない感じで楽しんでいたところ、店員のおばちゃんが我々のグループに近づいてきて何も言わずにコーラを5人分提供してくれました。

どういうルールかよくわかっていなかったのですが、どうも来客には無料のウェルカムドリンクが提供される店だったようです。

おばちゃんはコーラを提供したあと奥のカウンターに引っ込むと店に備え付けられた小さなテレビで平日午後に放送されている海外のドラマをのんびり見ていました。

薄暗い店内でそのカウンターの中だけ明るいTV番組が放映されていて異空間のようだったのを覚えています。

 

徐々に場の雰囲気に慣れてきた我々は2人用ゲームの『ダブルドラゴン』に挑戦しました。

筆者とF君が筐体に並んで座りプレーしたわけですが、場の雰囲気もあって滅茶苦茶面白かった記憶があります。

※『ファイナルファイト』みたいな横スクロール型アクションゲームです

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ダブルドラゴン』をプレーしたあとその中学生の先輩に挨拶して店を辞去しました。

 

帰路で5人とも興奮気味で「面白かったなー!」と言い合ったのを覚えています。

大人の世界をちょっと垣間見た高揚感で溢れた一日だったのを覚えています。

 

初代「桃太郎電鉄」の思い出

桃太郎電鉄」の思い出

 

いまだにパーティーゲームとして人気を博している「桃鉄」こと『桃太郎電鉄』の思い出について。

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桃太郎伝説』というRPGゲームが1987年に出まして、当時10歳だった筆者も相当やりこみました。
このRPGゲームに人気が出て知名度が上がり、セルフパロディという形で1988年にハドソンから発売されたのが初代『桃太郎電鉄』でした。

BGMも派生元の『桃太郎伝説』の曲も使われていたのがあり、世界観も親しみやすかったこともあって筆者は小学生のころ『桃太郎電鉄』も楽しくプレーしました。
RPGゲーム『桃太郎伝説』に関してもかなり思い入れがありますので、これはこれで別の機会に書きたいと思います。

 

その後PCエンジンで『スーパー桃太郎電鉄』が出まして、中1くらいのときに友だちの家でよくやった記憶があります(ハワイまで行って物件を買うことができた記憶があります。いま振り返るとバブル期の日本のゲームらしい設定です)。
しかし、どちらかというと筆者の印象に残っているのは初代『桃太郎電鉄』です。

 

ボードゲームとしての魅力を体現した初代の桃鉄
今の桃鉄と比べると初代はまだ練りこまれていない印象があり、運要素が強かった印象があります。
ただしサイコロの出目によって全国を移動しながら物件を集め、季節ごとに所持金を増減させていくという桃鉄の基礎は初代からずっと受け継がれていると思います。
いまの桃鉄でもあるかわかりませんが、温泉物件を買い占めると見ることができる女湯のイラストは初代からあったと思います。

 

基本的にみんなで集まってワイワイやるゲームですが、筆者も友人を家に集めて桃鉄で遊んだ記憶があります。
かなり運要素が強かった印象があり、大事に貯めたお金をスリの銀次に一気にスられたりしました。

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ただ初代で貧乏神が出てきた記憶はありません、
まだ「桃鉄」のシステムとして煮詰まっておらず、あまり駆け引き要素はなかったので勝ち負けに対して熱くなった記憶はありませんでした。

 

桃鉄を通じて地名や名産品は覚えることができたのか?

桃鉄というと実際の地名が出てきて移動してその土地の名産品を買うことができる点で子どもの学習に良いのではないかという意見があります。筆者の姪・甥も現在Nintendoスイッチ版の桃鉄でいろいろ地名を覚えたそうです。

 

さて、筆者の小学生の頃はどうだっただろうか?
学校の勉強などほとんど真面目にやらなかったバカガキだった筆者は残念ながら桃鉄をかなりやりこんだにもかかわらず地名も特産品も全く覚えることができませんでした。
辛うじて今でも覚えているのが佐賀県鳥栖に初代桃鉄で訪れたときに絵が鳥だったので、なんとなく「鳥栖」という地名を覚えただけでした。

当時は鳥がバタバタしている印象しかありませんでしたが、バレーボールのトスにかけていたんですね。

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ちゃんと小学校で社会の授業を受けて勉強している小学生にとっては桃鉄は地名や特産品の記憶の定着に役立つだろうなとは今は思います。

「土曜日半ドン」の思い出

土曜日半ドンの思い出

 

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今の若い人が「半ドン」と聞いても何のことかピンとこないと思います。
かく言う筆者も「半ドン」という言葉を聞かなくなって20年以上が経っていますから、先般いきなりこの言葉を出されて「なんだっけ???」となりました。


半ドン」とは主に土曜日の午後から休みになる事を意味していました。

ちなみに「半」とは半分の半、「ドン」とは休日の意味。つまり一日の半分休みという意味です。
※「どんたく」という古語から「ドン」が来ており、由来はオランダ語の日曜日の「ゾンターク」の訛った日本語からきているそうです(諸説あります)。

 

日本で週休二日制(土曜日、日曜日が休日)が勤労の場で導入されたのは1988年の労働基準法の改正、学校教育で導入されたのは2002年頃だそうです。
それまでは土曜日というのは午前中に学校や会社に行き勉強(労働)し、午後から休みという形態でした。


筆者が社会人として働き出す2002年には既に労働の場が週休2日(土日)が普通となっておりましたが、思い返すと大学生の頃もずっと土曜日は半ドンでした。
半ドン」の個人的な思い出を綴ってみました。

 

(小学校時代)
筆者の自宅から学校までは歩いて行ける近い距離でしたが、土曜日は給食が出ないため午前中の4時限目くらいで早くもお腹が空いていました。


土曜日午前の最後の時間割である4時限目が終わると、ホームルーム・掃除を終えてようやく帰宅が許されます。そこから家に帰ってご飯を食べるわけですが、当時は勤労の場も半ドンだったわけで、親は共働きだったため帰宅しても誰もいませんでした。
しかし、母親が朝作って用意してくれていた焼きそばやドライカレーといった温めるだけで食べることのできる作り置きが食卓にラップされた状態で置いてあり、筆者はそれを電子レンジで温めて食べていました。


小学校高学年になると、一人でコンビニ(パンプキンというコンビニ)に行けるようになっていたので親が置いていったお金が食卓にあり、近所にお昼ご飯を買いに行ったこともありました。

 

(中学校時代)
小学校時代と同じく、中学校時代も土曜日の半ドンは育ち盛りにはきつかったです。とにかくお腹がすいてたまらない。


中学校は給食が無く、各自弁当を持ってくるスタイルでしたが牛乳だけ学校から支給されていました。
しかし、土曜日は牛乳も支給されずお弁当の持参も許されていなかったので学校内で何も飲み食いできず、土曜日の午前が終わって家に帰るまでは毎週腹が減ってたまりませんでした。
中学校から家までの帰路に漬物工場があったのですが、土曜日の帰り道はその工場から漂ってくる漬物の匂いで食欲が最大限まで掻き立てられたのをよく覚えています。


買い食いは学校の規則で厳しく禁止されていたので(自販機で購入することすら禁止)、真面目少年だった筆者は当然買い食いはできませんでした。

 

(高校時代)
高校時代は1年生の頃から筆者は土曜日の午後は予備校に通っていました。
土曜日午前に学校の授業が終わると、予備校に向かうのですが学ランでも入りやすいカレー屋さんや蕎麦屋さんで食べてから予備校に行っていた気がします。予備校では友だちもいませんでしたから一人で昼飯を食べたら、ゲーセンや本屋さん(立ち読み)で時間をつぶしてから夕方からの予備校の授業を受けていたと思います。


ただし、高校3年くらいになると受験モードに切り替わるので土曜日は午前で授業を終えた後にコンビニで食べ物を購入してこっそり学校の図書館で勉強しながら食べていました(当然ですが高校の図書館は飲食禁止でした)。


また、校内にドリンクの自販機があったので最悪空腹で目が回るときはコーン入りのポタージュの缶を飲んで凌いだりしました。
そういう意味では緊急避難的な飢えを凌ぐ方法があっただけ小中時代よりマシだったかもしれません。

 

(大学時代)
大学時代も土曜日午前に授業がありました。
しかも1年生時は必修の授業が土曜日1時限目(AM8:40開始)からあり、「大学生になってまで朝6:30起きかよ!」とボヤいていた記憶があります。
しかし大学の場合は学食がありいつでも食事する自由があるため、午前の授業が終わると土曜日はクラスの連中とよくランチに行き、そのあと仲間内でボーリングに行ったり飲みに行ったりバイトに行ったりしていました。


大学2,3,4年時は土曜日に必修科目が無くなったため、土曜日に授業を入れず週休2日を実現させる人も多かった記憶があります。
筆者の場合は教職免許過程を履修していて、かなりの単位をこなさないといけないため2,3,4、年時も土曜日授業が入っていて、なんなら土曜日の午後も授業を受けていました。
いまの大学は土曜日でも履修できる授業があるんでしょうかね?

 

■「花金」との整合性
「花金」といって、週末を控えた金曜日の夜を表現した言葉があったと以前このブログで書きましたが、この記事を書いていて「おや?」と思いました。
筆者の小学校時代には「花金」とよく言いましたが、そもそも当時は土曜日半ドンだったので土曜日は休日ではありません。
なのになぜ「花金」なのですかね?
半ドンとは言え土曜日はお休みモードに近く、当時の人からすると気持ち的には土曜日は実質お休みみたいなもんだったんでしょうか。

 

■スペインは金曜日が半ドンでした
2016年に筆者はスペインに旅行に行ったのですが、スペインでは毎週金曜日の午後が半ドン(つまり休み)でした。
さすがプライベートな時間を大事にするスペインだと思いました。(その代わり若年層の失業率がかなり高いですが)。


日本でも個人消費喚起のため2017年に「プレミアムフライデー」といって月の最終金曜日は午後3時に業務を終えるというキャンペーンが実施されました。
しかし、残念ながら今のところまったく普及に至ってはいませんね。
いつか「金曜日も午前・午後フルで働いていたの?」と言われる時代が来るのでしょうか。

「10円ガムボール」の思い出

このようなカラフルなガムが入ったガチャガチャ見たことありますよね。

 

最近じゃヴィレッジヴァンガード以外ではあまり見かけなくなりましたが、筆者の子供のころ(1980年代)ではよく見かけたものです。

うちの近所では本屋さんに置いてあることが多く、漫画を買いに来たついでに10円でガチャガチャまわしてガムを噛みながら漫画コーナーをうろうろしたものです。

 

いまの本屋さんは原則飲食禁止ですが、当時はそういうルールはあまり考えられていなかったんでしょうかね?

10円で一粒ながらも大柄なガムでしたので暫く口の中で甘さを楽しんだものです。

もうガムなんて虫歯になりそうな食べ物はとんと食べたくない中年になってますので、見かけても買うことはなさそうです。

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「はなきんデータランド」の思い出

はなきんデータランド」の思い出

 

はなきんデータランド」という番組がテレビ朝日で1989年から1996年にかけて放送されておりました。
だいぶ長寿なバラエティー番組でした。

 

小学生の頃の筆者は毎週金曜日の夜に楽しみにみていました。

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筆者が小学生のときは桂文珍さん、喜多島舞さん、諸星和巳さん、池谷幸雄さんなどが出演されていたのを覚えています。
さまざまな人気や売り上げなどをランキング形式で毎週金曜日に紹介するという番組でした。

 

本や音楽CD、映画、アニメ声優といった比較的親しみやすいジャンルの人気ランキングを紹介していたので小学生の筆者は毎週金曜日の夕方この番組が楽しみでした。
ちなみに「はなきん」とはもう死語なのですが、「花の金曜日」の略です。
週末の休日を控えたわくわく感のある曜日という意味で当時使われていた言葉です。

筆者がこの番組で覚えているランキングの紹介は以下でした。

 

<映画部門>
1989年に公開されたジブリ映画『魔女の宅急便』ですが、登場してすぐにこの番組の映画コーナーで上位にランクインしていたのを筆者は覚えています。徐々にブランド力を高めていったジブリ映画ですが、初期の「子どもが見るアニメ映画」だったのが『魔女の宅急便』あたりから大人も映画館に観に行く作品に変わっていったんだなあと当時実感しました。


残念ながら当時筆者は『魔女の宅急便』を映画館に観に行きませんでしたが、「はなきんデータランド」で『魔女の宅急便』が取り上げられて子どもの時から(当時筆者は子どもでしたが)ジブリ映画が好きだった筆者は自分のことのように嬉しかったことを覚えています。

 

<小説部門>
2000年代に入ってから本の売り上げも電子版も含めてだいぶ落ちてきているわけですが、この当時はまだまだ日本人も本をたくさん読んでいました。


筆者が覚えている「はなきんデータランド」の本の売り上げ部門でランクインしていたのは、村上春樹さん著の『ノルウェイの森』と井上靖さん著の『孔子』でした。
恐ろしく学の無いバカガキだった当時の筆者は『ノルウェイの森』はノルウェーの話だと思っていましたし、『孔子』もなんの本だかさっぱりわかりませんでしが、読書家だったうちの両親は読んでいたようで両方とも当時家の本棚にありました。


後年、大学生くらいになって筆者が読むことになるのですが、やはりその当時売れていただけあって読み応えのある作品でしたね。

 

<声優・アニメ部門>
アニメの認知度が徐々に上がり、それに伴い声優さんの人気も80年代後半からあがってきました。はなきんデータランドでもアニメ・声優さんの人気投票コーナーがありましたが、高山みなみさん・田中真弓さん・神谷明林原めぐみさんあたり筆者は好きな声優でした。

 

高山みなみさんは当時ジブリ映画『魔女の宅急便』の主人公キキ役が印象的でした。

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田中真弓さんは当時の筆者は『ドラゴンボール』のクリリン、『おそ松くん』のチビ太、『天空の城 ラピュタ』のパズー役で印象に残っています。

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林原めぐみさんに至っては筆者はいまだに彼女のラジオ番組(Tokyo Boogie Night)をRadikoで毎週聴いてます。この番組は今年で放送開始から29年になるんですね。

※らんま2/1の女らんま魔神英雄伝ワタルのヒミコ役で当時好きでした。

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いまだに容姿端麗で素敵な声優さんですね。

彼女の明るいハスキーボイスに筆者は小学生のときから元気をもらっていました。