「VHSビデオテープ、ビデオデッキ」の思い出
『VHSビデオテープ、ビデオデッキ』の思い出について
今回は『VHSビデオテープ、ビデオデッキ』の思い出について記します。
TVが一般家庭に普及してからも長らく個人による動画の保存手段はほとんどありませんでした。
1980年代に入ると、一般家庭でもビデオデッキが普及していくわけですが筆者の家にVHS型のビデオデッキが導入されたのは筆者が小学校3年生くらいのときだったと思います(1985年くらいか)。
ビデオデッキがあると何ができるかというと筆者の家では
-テレビ番組が録画できる
-レンタルビデオ店で好きな映画やアニメを借りて観ることができる
でした。
ほかにもビデオカメラがある家庭ではホームビデオで録画した映像を再生するといった用途もあったようです。
ちなみに当時はビデオテープというとベータとVHSが規格として争っていたわけですが、最終的にはVHSがデファクトスタンダードとなったようです。
レンタルビデオビデオ店でもベータのビデオテープはあったのかもしれませんが筆者の記憶では思い出せません。
なお、筆者は利用したことがありませんでしたが、レンタルビデオ店では有料でダビングサービス(ビデオテープの複製)も店によっては展開していました。
さて我が家にはじめて導入されたビデオデッキですが残念ながらメーカーは思い出せません。
たしかPanasonic製だったかと思いますが、長年我が家で活躍してくれました。
母はいまでもデジタル機器が大の苦手な人種ですので、父が購入・設置を行ったのかと思います。
このビデオデッキが導入された当初は本当に感動しましたね。
なにせ今まで見逃したら見れなかったテレビ番組がビデオデッキで録画することであとから何度でも観ることができるんですから。
覚えている限りですと筆者が小学生時代によく録画していた番組は
ー志村けんのだいじょぶだあ
-世界まる見えテレビ特捜部
-聖闘士星矢(アニメ)
-ドラゴンボール(アニメ)
このあたりです。
学校から帰ってくるとその週に放送された聖闘士星矢とだいじょぶだあを繰り返し観たものです。
レンタルビデオ店についてですが、ビデオデッキが我が家に導入されてから小3頃の筆者は父に連れられて近所のレンタルビデオ店にはじめて行きました。
当時はTSUTAYAのような大手のレンタルビデオのチェーン店がなく個人経営のレンタルビデオ店が乱立していた記憶があります。
はじめて行ったレンタルビデオ店で映画好きの父は映画(たしかでデビッド・リンチの『エレファントマン』)を借りていました。筆者はアニメコーナーに行きましたが、普段観ているようなアニメはそのときは無く、『サイレントメビウス』という小学生にはまだ難解そうな作品があったのは覚えています。(結局筆者はそのとき何も借りなかった)
ただこれを書いていて、『サイレントメビウス』についてググってみるとすくなくとも原作の漫画は1988年連載開始で、アニメになったのは90年代なんですよね。
筆者がはじめて父とレンタルビデオ店にいったのは80年代でしたからちょっと年代が合わない・・・。そのときレンタルビデオ店で筆者が観たのは『サイレントメビウス』ではなかったのかもしれません。サイバーチックな世界観で紙の長いおねーさんがテープケースの表紙に描かれていた記憶がありますが。
さてその後レンタルビデオ店ではたくさんの映像作品を借りてみてきたわけですが、小学生の筆者は年齢的にレンタルビデオ店の会員証を作れないので親と連れ添って借りに行くしかありませんでした。
レンタルしたビデオを返しに行くのは小学生でもできますので筆者が返しに行ったものですが、返却するときよく店員さんに「巻き戻して返してね」と言われました。
ビデオテープを使ったことが無い方にはわからないかと思いますが、ビデオテープは本当に物理的なテープを再生する構造なので最初から観るにはいったん巻き戻す必要があります。この巻き戻しの工程は手動でして、テープをいったんデッキに入れて「巻き戻し」ボタンを押すのですが、2時間映画のビデオテープの巻き戻しでも数分要しました。
当然巻き戻ってこない状態で返却されたビデオテープはお店の人がバックヤードにあるビデオデッキで巻き戻しを行うのでしょうが、これはお店にとって相当手間だったでしょうね。
さてそんなビデオテープですが、80-90年だい途中でレーザディスクという規格が出てきても長らく映像録画媒体としては生き残っていました。やはり録画できるのが大きかったのか。
レーザディスクはビデオテープと比べても格段に画質がよく、レコード大の大きさのメディアですが映像にこだわる人はたくさん好きな作品をレーザディスクで集めていました。ただし、レーザディスクは録画機能はありません。再生専用でした。
筆者は画像にこだわりはなく「観れればいいや」という人間なので家でもレーザディスクは結局導入されず終いでしたね。
すくなくとも我が家は映像の質にはまったくこだわらない家庭でしたので、レーザディスクの導入はなく後述するPSXが導入されるまでは延々とビデオデッキが生き残っていました。
90年代に入ってもレーザディスクは唯一無二の高画質再生メディアでしたので、当時人気だった新世紀エヴァンゲリオンのレーザディスクを持っている大学の友人がちょっぴりうらやましかったです。
結局のところ、筆者は小学生(80年代)・中学生(90年代)・高校生(90年代)・大学生(90年代)とずっとVHSビデオテープと過ごしてきました。
しかし、2000年代に入るとDVDが登場しビデオテープは徐々に廃れていくことになす。
筆者の家ではPlay Station2 導入で初めてDVD再生が可能になり、PSX導入ではじめてテレビ番組の録画が可能になり、そしていよいよVHSビデオデッキは家から無くなりました。
2023年現在では動画配信サービス(NetFlixやアマゾンプライム)で映像作品を観ることが主流となりレンタルビデオサービスは下火になってきまして、映像メディアを物理的に保有する機会が減ってきました。我が家でもDVDやブルーレイの映像作品のディスクは現在1枚もありません。
「魔女の宅急便」の思い出
宮崎駿監督作品である『魔女の宅急便』の思い出について語ります。
ジブリアニメ、特に宮崎駿監督の作品については語るべき思い出は多いのですが、今回は1989年7月29日に公開された『魔女の宅急便』について。
筆者は『風の谷のナウシカ』は両親に連れられて劇場で観ましたが、ほかの宮崎駿監督の劇場映画作品である『ルパン三世 カリオストロの城』、『となりのトトロ』、『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』。『紅の豚』は残念ながら劇場で観ることはなくTVで放映されたときに観たのでした。
ちなみに『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』、『風立ちぬ』はもちろんのこと、『借りぐらしのアリエッティ』、『ゲド戦記』、『思い出のマーニー』、『レッドタートル』などもその後劇場で観ました。
さて『魔女の宅急便』ですが、筆者が覚えていることとしては1989年7月に公開されてから当時ヒットして興行収入の上位にランクインされていました。「はなきんデータランド」という情報番組で『魔女の宅急便』のワンシーン(キキが序盤に海の上を飛んでいるシーン)が紹介されていたのをはっきり覚えています(筆者が小5,6年のとき)。
筆者は初見いつ観たのかはよく覚えていませんがテレビ放送されていたのを観たのかと思います(すくなくとも劇場には観に行きませんでした)。
映画公開当時は雑誌アニメージュの表示をよく飾っていました。
空を自由に飛ぶ爽快感がたまらない。構図もよきですね。
魔女の宅急便というとこのシーンも印象深い。
オリジナル絵でしょうか。若干絵のタッチが違いますね。
映画本編では序盤を除けばほぼ黒い魔女のワンピース姿なので、私服姿のキキは新鮮ですね。
※ちなみに『魔女の宅急便』が表紙になっているこれらのアニメージュ誌ですが、先日秋葉原にある中古レトロトイ・ブック専門店で見かけたのですが、一冊あたり5000円前後と高額でしたので購入は諦めました。
さてその後は数にいとまもなく『魔女の宅急便』をみることになりました。
筆者が高校生の時に妹が『魔女の宅急便』のドはまりし、TV放送を録画した『魔女の宅急便』が自宅のリビングのテレビで流れていました。
当時は作中に登場するウルスラさん(絵描きの女の子)がキキと同じ声優さん(高山みなみさん)だとはまったく気づきませんでした。ほんとうに声優さんってすごいです。
わりと遊び心も見て取れる作品で、終盤のこのシーンでは右上の方に当時の宮崎駿監督とおぼしき人物が描かれています。
余談ですが、同じジブリ作品で高畑勲監督の『平成たぬき合戦ぽんぽこ』の作中の百鬼夜行のシーンでもキキが一瞬友情出演していました。
(このシーンではキキのほかにトトロやポルコ・ロッソも一瞬ですが登場)。
そして、現在(2023年)は筆者の娘が『魔女の宅急便』にドはまりし、家では毎日パソコン画面で『魔女の宅急便』が流れています。
自分が親世代になって見返すと印象が変わりました。
-主人公キキは昔観たときの印象だと世間ずれしていない田舎娘くらいにしか思っていませんでしたが、今観るとキキが本当に純真で可愛くて仕方がない(娘にはこういう子になってほしい)
-昔は全く実感できなかったが、人間の仕事や生活の豊かさはまさにこの映画で描かれているように他人の親切心・やさしさや繋がりで成り立っている
-13歳になった一人娘を旅立ちに送り出す両親の心配で寂しくなる気持ち
など心から伝わってきました。
この先、価値観が時代とともに変わっても全く色あせることない永遠の名作だと思います。
「ウルトラQ」の思い出
ウルトラQの思い出
先日『シン・ウルトラマン』という映画を劇場で観たのですが、自分の中で30年近く謎だったことが氷解しました。
ウルトラマンについての思い出は、以前このブログで書いたことがありますが今回は「ウルトラQ」について書きます。
「ウルトラQ」とはウルトラマンシリーズの前身にあたるTV放送された円谷プロのシリーズ作品で1966年に放送されました。「ウルトラマン」は「ウルトラQ」の続編という形で作られたそうです。
「ウルトラQ」では様々な怪異事件や怪獣が登場し、一方「ウルトラマン」は「ウルトラQ」に登場した怪獣を倒す存在として描かれました。
「ウルトラQ」ではウルトラマンが登場せず、人間たちが知恵を絞って事件をなんとかする基調のお話でしたが、筆者が「ウルトラQ」を観たのは再放送で小学3年生くらいのときでした。
あれは小学3年生の夏休みでした。
筆者は友だちのKを家に呼び、一緒に「ウルトラQ」を見ることにしました。新聞のテレビ欄に「ウルトラQ」の連続特別放送が午前10時にあることを知っていたからです。
さて特徴的な効果音(おどろおどろしい)とオープニングが流れ、いよいよ放送が開始されます。
怪異事件(ジャングルで探検隊が奇怪な植物に遭遇する)が描かれますが、いっこうにウルトラマンは登場してきません。
結局ウルトラマンは最後まで登場せず「おかしいな・・・」とKとともに首をひねったものですが、「ウルトラQ」の翌日の再放送でもウルトラマンが登場しません。
とてもガッカリした思い出でした。
さて、それから30年以上経って筆者45歳にして「シン・ウルトラマン」をみて長年くすぶっていた自分の中のこの謎が解けました。
「シン・ウルトラマン」では冒頭でたくさんの怪獣が登場し、人間によって撃退されたり、自然に還っていくシーンが描かれました。これがまさに筆者のガッカリな思い出だった「ウルトラQ」でした。
「シン・ウルトラマン」を観終わったあとに、ウルトラマンのことをYouTubeやネットで調べましたが、そのとき初めて「ウルトラQ」が「ウルトラマン」の前身だったと知りました。
まさか30年経って自然に謎が氷解するとは思ってもみなかった出来事でした。
「ポプラ社 江戸川乱歩シリーズ」の思い出
筆者は小学生のとき、クソバカでほとんど勉強せず成績は常に下でした。
小学校の授業もまともに聞かず常にファミコンや友達との遊びのことばかり考えているような少年でした。
そんなクソガキでしたがとにかく読書だけは大好きでした。
クラスの学級文庫にあるにある本を次から次に読んでいったわけですが本を読んでいたおかげで文章の読解能力は養われていたようで、国語の能力下地は付いていました(しかしそもそも授業を聞いていないので国語の成績も最悪でした。
国語の基底能力だけはあったからか、中学生になったら勉強にまじめに取り組むと落ちこぼれだった小学生時代は無かったのごとくあっという間に成績はぐんぐん上がっていたわけですが。
さて小学区3-4年のときはポプラ社の「江戸川乱歩 少年探偵シリーズ」が本当に好きで次から次に読んでいきました。
このシリーズを次から次に読んでいったわけですが、クラスの学級文庫にある乱歩の小説を読んでしまったあとは親におねだりして次々買ってもらいました。
筆者の両親は両方とも編集者の仕事をしていまして出版物に格別の思い入れがあるため、小説でも漫画でもとにかく出版物はまったく渋ることなく本屋さんで買い与えてくれました。
結構表紙がおどろおどろしくて今考えるととても乱歩らしい装丁の本だったと思います。
しかしシリーズたくさん読んでいるうちに怪人20面相シリーズ、少年探偵団シリーズは正直飽きが来ます。
というのも乱歩の描く刺激に慣れきってしまい、子供向けに書かれているこのシリーズでは作中で「コロシ」が一切出てこないので、「なーんだ、結局人死にがないんでしょ」とひねた感想を感じるようになってしまいました。
特に「怪人20面相」という乱歩作品でよく登場する泥棒は人殺しをしないので、コイツが登場する乱歩作品は敬遠していました。
ネタバレを避けるために作品名は申し上げられませんが、とある謎の犯罪者がタイトルになっている作品を買って読み進めていたことがあるのですが、作中で「コロシ」が出てこなくてがっかりしていたらラスト付近で謎の犯罪者の正体が「怪人20面相」だと明かされまして、「ふざけんな!テメーだったのかよ!だからコロシが出てこなかったのか」とすさまじくガッカリした記憶があります。
乱歩作品の中で最も筆者が印象に残っているのは『三角館の恐怖』です。
『三角館の恐怖』は乱歩の子どもむけシリーズとは一線を画するがっつり人死にが描かれる純粋なミステリー小説でした。
小学生(おそらく小5くらい)の筆者にとってはホラーにも思えるくらい緊張感の強い作品で手に汗を握りながら読んだのを覚えています。
本書を寝る前に読んでいて気づいたら夜2時だったのを覚えています。
その当時いつも夜9時には寝ていたのですが、『三角館の恐怖』に魅入られてがっつり夜更ししてしまいドキドキしてなかなか眠れなかった一夜がありました。
江戸川乱歩作品はもう読んでいませんが、今思い返すといまだにミステリー小説が大好き筆者の素地はこのころに作られたのだと思います。
「機動戦士ガンダム(ファーストガンダム、初代ガンダム)」の思い出(その2)
さて、肝心の初代機動戦士ガンダムの内容について筆者が幼少に観て覚えていることを記します。
シャアがジャブローの連邦軍を襲撃するときに乗っていたシャア専用ズゴック。
そのときの戦闘シーンが忘れられません。
シャア専用ズゴックは非常に機敏な動きで連邦の兵器を次々破壊していくのですが、爪のような手の武器で連邦のモビルスーツ・ジムの腹の部分を貫くシーンは子供ながらに驚きました。
ガンダムというと肉弾戦はあまりなく(ガンダムハンマーのような例外はありますが)、ビームサーベルやビームライフルのような熱源兵器が多かったので物理的破壊をもらたしたこのシャア専用ズゴックの攻撃はいまでも印象に残っています。
2)カツ・レツ・キッカのさるぐつわ
シャアを含むジオン兵が連邦の兵器格納庫で爆弾をしかけようとしますが、偶然難民の子カツ・レツ・キッカに見つかってしまい、兵器もろとも爆散させようとカツ・レツ・キッカを縛ってさるぐつわにするシーンがあります。
結局この三人は爆殺を免れるですが、当時の筆者が観ていて「子供にたいしても容赦ないなあ」と思ったのか、はたまた自分と同じくらいの年齢の子供たちの危機がインパクトがあったのかどうかわかりませんが、妙にこのさるぐつわが印象に残っています。
3)ザクレロ
これは単純にデザインにびっくりしました。
いまみても尖ったデザインですよね。子供ながらに登場シーンはとても驚きました。
宇宙を飛び回っている姿が妙にひょうきんだったのを覚えています。
4)ビグザム
終盤の方でジオンのドズル中将が決戦に向かうために乗る新型モビルアーマー・ビグザムに登場するシーンがあります。
ビグザムが映るのはその回のラストの「引き」のシーンですが、子供ながらに「とんでもなく強そうだなあ」と思ったのを覚えています。
実際かなり強いモビルアーマーですが、その回以降のビグザムが戦闘しているシーンはまったく覚えていないです。
5)こんなにうれしいことはない・・・
最終回はとても印象に残っています。
最終決戦地アバオアクーからアムロの乗ったコアファイターがゆらゆら発進しホワイトベースのメンバーのもとに戻るシーンで子供ながらにジーンと来てしまいました。
なんだかんだ筆者が幼少のときに観た機動戦士ガンダムで最も印象に残っているのは最終回のこのシーンです。
筆者が機動戦士ガンダムをみたのはおそらく保育園の年長(5歳児)くらいだったかと思いますが、一部とはいえこれほど内容をはっきり覚えているアニメはほかに無いです。
やはり後世の評価を抜きにしても筆者にとっても「機動戦士ガンダム」はまごうことなき名作だったんでしょうね。
その後、初代のガンダムは見直す機会があり・・・・
-大学2年のときに映画版の『機動戦士ガンダム』3部作を視聴
-社会人5年目くらいにTV版『機動戦士ガンダム』をDVDで全話視聴
-結婚して2年目に妻と映画版の『機動戦士ガンダム』3部作をDVDで再視聴
※妻は半分くらい寝てた
と何度も何度も見直してます。
でも何度見直しても新たな発見があり、本当の名作は色あせないんだなと再確認しました。
「機動戦士ガンダム(ファーストガンダム、初代ガンダム)」の思い出(その1)
いまは若干下火になりつつあるロボットアニメですが、筆者が子供時代を過ごした70~80年代はロボットアニメ全盛期だったかもしれません。
当時の男の子たちはロボットアニメに夢中になったものです。
ご多分に漏れず筆者もガンダムこと機動戦士ガンダムシリーズを観て育ちました。
『機動戦士ガンダム』(いわゆるファースト・ガンダム)から『機動戦士Zガンダム』『機動戦士ZZガンダム』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を小学生時代は観て過ごしました。
その後、中学生のときにOVAの『機動戦士ガンダム 0083』や『機動戦士ガンダム F91』、高校生のときに『機動戦士Vガンダム』『新機動戦記ガンダムW』を観ていたわけですが、今回は初代である『機動戦士ガンダム』の思い出についてのみ語ります。
初代のガンダムである『機動戦士ガンダム』の放送が始まったのは1979年。
筆者は小学生になる前に家で観ていた記憶があります。
筆者の生まれが1977年ですから、観ていたのは本放送ではなく間違いくなく再放送ですね。
うちは両親が共働きだったので家で留守番をしているときに一人で観ていたことが多かったのですが、祖母が家に来ているときは祖母と観ていました。
まだ幼少でしたからザビ家のお家騒動やら連邦軍の腐敗、スペースノイドと地球の人のイデオロギーの違いなどは正直全くわかりませんでした。シャアがガルマを罠に嵌めて陥れるところなんてさっぱり意味がわかりませんでしたね。
「え・・?この人たち、友だちじゃなかったの????」と疑問符ばかりでした。
いまファースト・ガンダムを観直すとそのようなドラマ部分が一番深みがあって面白く感じるのですが、当時はひたすらモビルスーツ(ロボット)同士のバトルに興奮していました。
ドラマのパートはわからないのでただ観ているだけでしたが、モビルスーツによるバトルが始まると別の部屋にいた祖母を大声で「おばあちゃん!始まったよ!一緒に観るよ!」と呼んできたものです。
祖母は「はいはい」という感じでしぶしぶ来てくれた感じでしたが^^;
長くなったので続きはいずれ書きます。
「レコードプレイヤー」の思い出
音楽メディアは時代とともに様変わりしていったわけですが、筆者の印象だと
「レコードプレイヤー」-「カセットテープ」-「CDプレイヤー」ー「MD」-「MP3プレイヤー」という変遷でした。
筆者が小学校に入る間に(~1983年頃)、音楽メディアは「レコードプレイヤー」から「カセットテープ」という感覚があります。
なぜなら、おぼろげながら幼稚園児の頃に家でレコードプレーヤーで音楽がかかっていた光景が記憶にあるからです。
そして筆者が小学生になるころに、カセットテープが広く浸透しました。
初めて自分で買ったカセットテープの音楽はファミコンの「スーパーマリオブラザーズ」のサントラでした。
あれは小学校2年生の頃だったと思います。
当時「スーパーマリオブラザーズ」が大流行し、筆者も大好きなファミコンゲームの一つでした。
一人で近所のレコード屋さん(当時は音楽はここで買うしかなかった)に行き、「スーパーマリオブラザーズ」のカセットテープを買ったのです。そのとき対応してくれた店員のお兄さんが「ぼくスーパーマリオブラザーズ好きなの?何面までいった?」と笑顔で話しかけてくれました。
筆者は当時は虚勢を張ってばかりいましたので「裏技で9-1までいったよ!」と返答しました。
※ふつうにプレーすると8-4までしかない。9-1に行ける裏技も実際にやったことはないです
この記憶からすると、もう筆者が小学校に入った1983年頃はレコードは音楽媒体としては失われていたようです。
そんなカセットテープも筆者が小学校5,6年になるころに登場したCDプレイヤーで一掃されてしまうですけどね。
さて話をレコードプレイヤーに戻すと、レコードプレーヤーが現役だった時代に実際に筆者が自分の意志で音楽をかけた記憶はございません。未就学児だったので当然かもしれませんが。
そんなレコードプレイヤーですが、筆者が大学2年のときにまさかの復帰を果たします。
筆者は大学生当時(2000年前後)ロックにとても傾倒し、暇とお金があれば下北沢や新宿・渋谷のライブハウスに音楽を聴きに行きました。フジロックとかも行きましたね。懐かしいです。
当時はロックであれば洋楽から日本のインディーズロックまで幅広く聞いていたのですが、資金に限りがある身分だったのでディスクユニオンなどの中古レコードショップで物色したCDでよく聞いていました。
家でCDで音楽を聴いているうち、「まてよ・・・これレコードで聴いた方が味わい出るんじゃね?」と思い、妹から借りたレコードプレイヤー(妹も重度の音楽マニアだった)で、お気に入りのアーティストのレコード盤を聴きはじめたところ、これがなかなか耳障りがよくてしばらくレコードプレイヤーで音楽を楽しんでいました。
まさか20年近く時を経て、またレコードが自分にカムバックするとは思いませんでした。
ちなみに当時は中古CDショップに行くと、CDとレコード両方のバージョンを販売していたので、どちらのバージョンを買おうか結構悩みましたね。
当時好きだったビョークや少年ナイフはレコードで聴いていた記憶があります。
いまじゃCDなんてまず買わないですね。いや、いまどころか思い出せる限りで最後に筆者が買ったCDのアルバムは2006年頃のBoAのアルバム(ライブチケット抽選申し込み券付き)でした。実に15年以上もメディア媒体としてのCDを買っていないことになります。
いまではサブスク(Amazon Alexa)でだいたい聞きたい曲が聴けてしまいますし、YouTubeでも過去の曲であれば音質はともかくほぼあらゆるジャンルの曲を聴けてしまうのが便利である一方、お目当ての一枚を探すためにレコード屋めぐりをする楽しみは個人的に完全に無くなりました。