80年代の文化を懐かしむブログ

昭和52年(1977年)生まれの筆者が小学生だった1980年代を思い返して綴るブログです

「エスパー魔美」の思い出

藤子不二雄F先生・藤子不二雄A先生というと筆者が小学生のときは神のような存在の漫画家さんでした。

コロコロコミックでは「ドラえもん」、「ビリ犬」、「キテレツ大百科」など精力的に漫画を発表されていましたし、誇張無しで毎日藤子不二雄原作のアニメが夕方のアニメ枠で放映されていて筆者は藤子不二雄先生の漫画もアニメも楽しみにしていました。

 

藤子不二雄F作品としては異色の「エスパー魔美

藤子不二雄F先生(以後F先生)といえば、少年が主人公でちょっと不思議なSFや小学生の夢ともいえるアイテムやキャラクターを登場するケースが多かった印象です。

 

後年、筆者は藤子不二雄F先生の大人向けの漫画(カンビュセスの籤などの短編)にもハマるのですが、それはまた別の話としてコロコロコミックのような王道少年漫画誌に掲載されているF先生の作品は読み手と同じように多くは小学生目線で描かれていました。

 

そんな中、当時筆者からみて異色だった作品が「エスパー魔美」でした。

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この作品は主人公(魔美)が中学生女子で特異な力を持つエスパーとして描かれています。

テレポーテーション、テレキネシス、テレパシーなどエスパーの王道も言える力で様々な問題を解決していきます。

とはいえ解決するのは大きな社会問題などではなく、身の回りで起きるちょっとした人間関係のトラブルや問題を解決するといったもので、そういう意味では少年向けのテイストでした。

 

しかし主人公のお父さんが画家でありしばしば主人公魔美がお父さんの描く絵のヌードモデルになったり、自分の能力のことや恋愛で悩んだりとおよそ今まで描かれてきたF先生の作品とは異なる味を見せてくれました。

中学生女子の心の内面をF先生の視点から描いたという意味では特異な作品だったのではないでしょうか。

 

■読んでいていろいろ学ばされました

エスパー魔美」のエピソードでこういうものがありました。

あるとき主人公魔美は誰かの苦しみの気持ちを強く感じ取ります。

感情を発している主がわからず魔美はそれを幽霊の仕業だと思い恐怖しますが、正体は道路のアスファルトの中から地上に出れない蝉の幼虫だとわかります。

魔美はテレポーテーションの能力で蝉の幼虫を地上に出してあげるのですが、それを読んで小学生当時の筆者は大いに反省しました。

 

筆者は蝉取りが好きで夏になると両手いっぱいに蝉を捕まえてきて家の中に放ちましたが、地中で長い年月過ごしてようやく地上に出ても短い命の蝉が筆者のような人間に捕まってしまうというのは蝉からみたら不条理であると。

このエピソードを読んで以来蝉取りは控えるようになりました。

 

また、普通の主婦や同級生が心の闇を抱えていたりする描写にも小学生当時の筆者はドキリとしました。

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一方四面楚歌で誰も自分を信じてくれない状況で自分を信じてくれる幼なじみの言動にジーンとしたり、当時は「エスパー魔美」にとても心を揺さぶられました。

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藤子不二雄先生の作品には子どもの頃からいろいろと学ばされることがあり、間違いなく筆者の人格形成の一端を担ってくれたと思います。

 

エスパー魔美」は大人になってからも文庫版を買いなおして読みましたが、大人が読んでも十分楽しめる深みのある作品ですので興味がある方は読んでみてください。